1979/02 - 1980/01
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kioさん
市内バスでカイロの中心にあるタハリール広場に出た私は、そこから放射線状に延びる通りの一角にある、パキスタン航空のオフィスで、カラチ行きの予約を済ませてから、再びタハリール広場のバスターミナルに向かい、カイロ郊外のGIZAの3大ピラミッド方面行きのバスの発着場所を教えてもらい、バスに乗り込んだ。
泥の様に土色の水量の豊かなナイル川に架かる橋をバスはゆっくりと渡っていく。、やがて市街地からバスは郊外に抜けていく。土と泥で作られたような家並みが続くと、やがて唐突に、バスの左手にピラミッド群が姿を遠く現した時、深い感動を覚えた私が大きな声で歓声を上げると、現地の乗客に混じった、数人の外国人観光客も遙か前方に見え始めたピラミッド群に気付き、それぞれの国の言葉で歓声を発していた。
バスを降りると、ガイドと称する輩が観光客に声をかけてくる。 私に近づいてきた男は名刺を取り出し、名刺の裏書きを見せて、どうだ! と言わんばかりの顔をしている。そこには下手な日本語でこんな言葉が書かれていた。<私は日本人旅行者の00です。このガイド△△△は、とても良心的なガイドです。でも気をつけて!>これじゃあ 推薦文になってないと思いつつ、ガイドは必要ないと断った。
ピラミッド付近には年端のいかない少年等も駱駝に観光客を乗せるために盛んに声をかけてくる。私から駱駝の手綱を持ったまま離れようとしない子供に根負けした私は、幾らだ?と尋ねた。 30分で50ドル<12000円>だと吹っ掛けてくる少年はスペシャルプライズだと最上級のツーリストプライズを吹っかけてくる。
私がエジプト入国の際、大騒ぎしながら強制両替えに 応じた金額と同じではないか。踵を返えす私に、少年は30ドルにするからとしつこく付きまとい、更に幾らなら払うんだ?と尋ねてくる。観光地の定番のキーワード <HOW MUCH YOU PAY? >が出てきた。 私は30分も乗らなくて良いこと。スフィンクスまで乗せてくれれば良い事。5ドルしか払えない事を少年に伝えた。スフィンクスに到着したらバクシーシ<チップ>をその代わりにくれという少年との間に交渉は成立した。クフ王のピラミッドを左手に眺めながら、右手前方200M程先のスフィンクスを目指して駱駝はゆっくりと歩み始めた。 すると僅か十数メートルも進まないうちに、駱駝遣いの少年が5ドルではここまでだと言い出す。
「約束が違うだろ?スフィンクスまで行かなければバクシーシは払わない」私は駱駝使いの少年をなじった。
少年はなにやらぶつぶつ云いながら駱駝を再び引き始める。すると僅か数m位進んだところで再び、バクシーシを今払ってくれと言い出す。私はもう結構だ 降ろしてくれと云うが駱駝の背中が馬より遙かに高いのだ。簡単に自力で降りることが出来ない。少年が狡猾そうな表情を見せニヤリと笑ったのを見た。今度は降りたければ金を寄こせと言い出した。子供と云えども悪名高い海千山千の観光地の駱駝遣いである。子供相手と云えども怒りの気持ちがこみ上げてきた。 結局、私は数ドルのバクシーシを払い駱駝を降りた。
砂漠の熱風が頬にべったりとまとわりつくような不快な気持ちになっていく自分自身にも軽い嫌悪感を感じた事を覚えている。
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バクシーシを払わないぞと言いながらも、私は二ドル<500円>の米ドルを駱駝の上から駱駝引きの少年に渡して話をつける積もりだった。
しかし、それでも額が少ない、もっと寄こせとという駱駝引きの少年の強欲な態度に私の気持ちは熱砂の中で切れるそうになった。
険が出来て表情にも表れていたのかもしれない。少年は急に態度を軟化させ、駱駝の膝を折らせ、私を降ろした。
駱駝遣いの少年は毎日のように観光客相手に様々な手練手管を身に付けているに違いない。交渉のさじ加減も当然のように身に付けている。
つまらぬ事で気持ちが妙にささくれてきている自分自身が厭だった。
駱駝を降りて、トボトボとクフ王のピラミッドに戻る道すがら、今度は駱駝と馬を引っ張る駱駝引きとすれ違った。
その駱駝に乗っていた観光客が、日本語で話しかけてきた。「こんにちわ〜!日本の方ですか?」
返事をした私に、良かったら馬に乗りませんかと 尋ねてきた。 いぶかしげに思った私は、どう云う訳で?と
彼に聞き返すと、駱駝引きの言い値で乗ったところ、1時間の契約をして、馬と駱駝に交互に乗っているということだった。勿体ないから馬に良かったら乗りませんかと云ってくれたのだ。 駱駝引きが私から離れてくれないとも云った。
一体幾ら支払ったんですか?と 驚いた私が尋ねると、150USドル<当時の換算で38000円>支払ったという!! そりゃあ 駱駝引きは金づるだと思って離れてくれませんよ〜と私が、おどけながら云うとその日本人は苦笑いを浮かべながら そうですよね〜 と答える。
彼の好意を受け入れさせて貰った私は、今度は馬に乗りながら、ピラミッド巡りを続けた。 道すがら、神奈川出身だというその日本人は同業他社の3人でエジプト警察の無線&有線連絡網の構築の為に、4週間の滞在予定で来ていると話してくれた。今日は最初のオフ日でピラミッド見物に3人で来たが、他の二人は茶店で待っているという。
この後、車で更に砂漠に入ってたサハラ・シティという所に行くけど、よかったらご一緒しませんかと誘われ、断る理由の無い私は、他の二人も紹介され、運転手付きの古いベンツでサハラシティに向かった。
サハラシティはサーカス小屋のような大きなテントの中でベリーダンスなどのショーを見せる観光スポットだった。
あいにく昼間だった所為でショーは見ることは出来なかったが、薄い衣を纏った姿で踊る沢山の官能的なベリーダンサーの写真が、壁の至る所に張り出されて夜の賑わいを想像させた。 チャイと呼ばれる冷茶を飲み、私達は小一時間喋った。
私はもっぱら聞き役だった。エジプト国内を走る多くの鉄道車両が日立などの日本製だということも、初めて知った。 サウジアラビアに仕事で行った人の話によれば、彼の地では禁欲生活の日々だったといい、酒すらも<持たず、作らず、持ちこまず>の非核三原則扱いだと笑った。そこに比べればここは同じアラブの国でも天国だとも言った。 市内への帰途、彼らのホテル経由で運転手に私の宿まで送るように云い含んでもらい、とても有り難かった。
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この旅行記へのコメント (2)
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- ボラッチョさん 2005/04/03 18:03:53
- ご訪問ありがとうございます。
- エジプトの旅、読ませていただきました。同じ頃2週間いました。ギザのピラミッドに監視員の目を盗んで登ったことや、駱駝にのり、思ったより大揺れで乗り心地の悪かったことなど、懐かしくおもいだしました。
これからもどうぞよろしく。
- kioさん からの返信 2005/04/03 20:06:27
- 1970年代のバックパッカー
- >同じ頃2週間いました。ギザのピラミッドに監視員の目を盗んで登ったことや、駱駝にのり、思ったより大揺れで乗り心地の悪かったことなど、懐かしくおもいだしました
ポラッチョさん 書き込み有難うございます!
ポラッチョさんとは世代がほとんど一緒かもしれませんね。
私の旅は1978年〜1979年にかけてでした。
<旅文は編集の都合上1979年からになっています>。
1975年当時の学生時代から欧州を旅するようになりました。
ピラミッドは今では完全登頂禁止のようです。監視の目を誤魔化せる
明け方に登頂を目指すバックパッカーが多々いるようですが、、
でも落下したらお仕舞ですね( ̄□ ̄;)!!
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