2005/03/21 - 2005/03/21
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神田明神氏子その五さん
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3.21.2005(MON)
今日は春分の日の振替え休日で天気もいいし、偶々秋葉原のヤマギワが二年間閉鎖になる前の最後の営業日だというのであそこにしかないキャンドル型のクリアの電球のスペアを確保しておく為に、のこのこ神田方面に出かけました。
ヤマギワの買い物は口実で、実はこの間からオフィスの行きかえり、昼休みに歩き回って探している神田多町、司町辺りの古店舗を取り壊される前に映像に納めておこう、というのが本来の目的でした。このぶらり散歩は画像が未だ貼り付けられないので、もう少し後でリポートします。
この間からランチぶらりで、探しぬいている(ちょっとオーバーですが)「太田南畝(蜀山人)の終焉の地」の説明板が漸く見付かりました。御茶ノ水の聖橋口出口筋向いの日立本社ビルの何処かにあるのは分かっているのですが、見付からず、会社の守衛さんにでも聞かないとしょうがないか、とおもっていた矢先、淡路坂へ下る植え込みの通常の目線より可成り高いところにありました。見付かれば、僅かな解説をした説明板がそこにあっただけの話なんですが、気分的には蜀山人終焉の家が見付かった様な感じです。
淡路坂をはさんでそのすぐ線路側の歩道に一本の立ち木があり(その先はない、というより、立ち木の根元から下は、御茶ノ水のホームへ逆落としのがけになっている)、その幹に一枚の板が貼ってありました。きちんとした説明板でなく、どなたか篤志家の方がせめてもの記録に、という感じで残しておかれたものでしたが、この辺りに曾って太田道灌が江戸城内に祀っていた太田姫稲荷神社が在ったという事が分かりました。明治大正期までここにあったのですが、昭和6年の鉄道拡張工事の影響を受けて現在は本郷通りの中程にある三井住友海上の本社ビル裏に移転させられています。そして、この現在の神社の所在地の辺りに、樋口一葉の大親友だった伊東夏子の住まいが在ったので、一葉は多町に仕入れに行った帰路立ち寄り、お喋りなどして本を借りていたというのです。当時一葉は、菊坂の住まいから谷中龍泉寺に転居して、雑貨・駄菓子屋を営んでいたので、恐らく神田多町には店で商うものを仕入れにいったのではないかと想像しています。一葉の50回忌の時、伊東夏子は「一葉の憶ひ出」を著す(出版は昭和25年)ほどの親友でした。偶々一葉も本名が一緒、伊藤夏子は一葉とともに和歌を学んだ「荻の舎」の三羽烏の一人で、しかも恐らく伊藤夏子は一葉同様、士族の令嬢たちの多かった「荻の舎」のなかで、数少ない平民の子弟という共通項もあったのではないかと思われます。尤も、一葉も、父親は維新前は八丁堀の貧乏同心だったそうですから、戸籍上は平民ではなかったかも知れません。
日立本社ビルの植え込みについてぐるりと左手に折れる小さな坂が「幽霊坂」(本郷通りで区切られる前は、この坂の上半分が紅梅坂といって、丁度その左手がニコライ堂なので、幽霊坂も紅梅坂の下半分だったので、こんな陰気な名前でなかったのですが、当時は木がうっそうと茂って幽霊でも出そうな雰囲気だったらしい)で、その途中(下りきった突き当たりは、戦前は少なくともシネマパレスという映画館でした。今は神田郵便局)に、一葉の9番目、10番目の家があったらしいのです。私の、子供時代の家がやはりこの辺り(現淡路町2丁目の一角)だったので、いまはじめて、遠く一葉との接点もあったのだ、と驚いているところです。
今日は、蜀山人の碑探しから、ひょんな事で最近繁くその足跡を追いかけている一葉の旧跡にも触れる事ができ、大変幸せでした。これは、そのきっかけを提供してくれた太田姫稲荷神社にその出会いのお礼をしなければいけないですね。お稲荷さんだから、やっぱり油揚げかなあ。
このブログは、サニーライフ平井さんのブログに触発されたものです。
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