2005/02/12 - 2005/02/12
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midnight-mamyさん
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日本三大天満宮はご存知の通り、「大宰府天満宮」「京都北野天満宮」そして「防府天満宮」なんですが、その中でも一番最初に出来たのがこの「防府天満宮」だと言われています(*^。^*)
ご祭神である「菅原道真」公が無実の罪も晴れぬまま太宰府の配所で亡くなったのは 延喜3年(903)2月25日ですが、その翌年904年に防府天満宮が創建、大宰府ではさらにその翌年905年に創建、北野天満宮は、947年とされています。
なんで、防府が?って言うところですが、道真公は太宰府に流される途中、船を防府の勝間の浦に停泊させしばらく滞在したようです。そして酒垂山(防府天満宮の裏山です(^^)に登って、「身は筑紫にてはつるとも、魂魄は必ずこの地に帰り来らん」と誓いをたて、家宝の金鮎12尾を国司に託してさらに配流先への旅を続けたのだそうです。他にも停泊地はあったろうに、どうしてこの防府の勝間の浦が気に入ったのか・・・。そして、道真公が亡くなったその日に勝間の浦に神光が現れ、酒垂山に瑞雲が棚引いたのだそうです。瑞雲といえば、めでたいときに現れる紫色もしくは五色の雲のことを指すと習いました・・・つまり、この瑞雲を見た人は、道真公はなくなってすぐに神仏になられて防府に来迎されたのだと言いたいのでしょう。(*^o^*)
かなり怪しげな話ですが、そのように伝えられてるんだから仕方ありません、信じてあげてください♪
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もう夕方に訪れたので、とても静かな参道です(*^。^*) 参道入り口の駐車場に車をとめて参拝します♪ 参道脇にあった写真館が閉店していて「入居者募集中」。ちょっぴりさびしく感じました・・・由緒ある天神さまなのに、お参りする人も、記念写真をとる人も減ってしまったのでしょうか。
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階段を登りきると、楼門が見えてきます(*^。^*) 昭和27年に火災のため焼失し、昭和38年に再建されたものです。火事にはみんなで気をつけましょうよ・・・歩きながらタバコを吸うのはもうやめましょうよ(願)。楼門前の梅が枝餅売りテントは、すでに本日の営業を終了♪ 三連休の中日(なかび)なんだから、もう少し営業しててほしかったなぁ!まだ、ふもとの駐車場が閉門するまで20分もあるのに(悲)
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本殿は銅板葺入母屋造りで、平安時代の優麗繊細な様式を採りつつ彩色・彫刻など装飾をさけ、竜宮城のような先ほどの楼門とは対照的に落ち着いた美しさですね(*^ー^*)。よくみると神社の拝殿に必ずついている「鈴」がありません。防府天満宮の説明によると、これは、正月など参拝される方が多い時に混雑をふせぐためなのだそうです。今日は混雑してなかったけど・・・? まぁ、「鈴」でお呼びたてしなくてもご祭神は私たちを見ててくださるのでしょう、ありがたや、ありがたや(*^o^*)
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3年前ここに絵馬をかけたっけ・・・「学校生活をエンジョイできますように」って書いたCFは、私から見れば必要以上にエンジョイしているようにも見えますが・・・これも道真公の思し召しかしらん(溜息)
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新しいお守りを頂いて、客殿方面へ歩いていくと、客殿の廊下に並べられた灯篭に猫が隠れているのを発見(*^。^*) 何してるのぉ?って近づいたら、警戒して逃げていきました♪ 怖がらせるつもりはなかったんだけど・・・フラッシュが気に入らなかった?
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防府天満宮に来たら、この「春風楼」から防府市内を眺めるのがわたしのいつものコース・・・なのですが、現在「春風楼」は立ち入り禁止です。2004年9月7日に通過した台風18号でくずれちゃってるんです(涙)
「春風楼」は10代藩主毛利斎熙(なりひろ)が五重塔の建立を思い立ったその名残です。斎熙さんは、1822年に五重塔の建立工事に着手しますが、その後幕末に向けての変革期のため、完成せず幻の塔となりました。そのため明治6年に、着工当時に造っていた塔の一層部分軒下の組み物をそのまま床下に取り込み現在の「春風楼」が出来上がったのです。これって中途半端なようだけど、歴史の産物だとおもうんですよね・・・大事にしたいのに、台風でこんなになっちゃったぁ(T.T) 私も精一杯いつもの10倍もお賽銭入れたけど、普段の額が額なので、おそらく瓦1枚の10分の一にもならないと思う。 -
ほら、こんなにひどいの・・・厳島神社も相当な被害を受けたけど、防府天満宮だってこんなに被害でてるんですから! どうぞみなさんたくさんお参りして、いつもより余分にお賽銭をあげてくださいませ。L(゜□゜)」
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昨年の台風で樹が傷んでいるのか、今年に入ってからの寒さがこたえているのか、ことしの梅はちょっと遅いように思います。いつもだったら2月に入れば、天神山の梅たちもほころび始めている頃なのに、楼門前の梅がやっとちらほらほころび始めてる程度です。
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天気がよければ、もう少し梅の花もきれいに映えるんだけど・・・ちょっとさびしそうに写っちゃった。
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天満宮の楼門にむかって右手には、牛の像があります。道真公の亡骸を運んでいた牛車が、突然に座りこんで動かなくなったところを墓所としたので、多くの天満宮には座った牛の像があるんですって(*^。^*) その反対側(楼門に向って左手)には馬が居ます。馬はなんでいるんだろう? もともと馬のかわりに「絵馬」を奉納したものだけど、篤志家が「絵馬」じゃなくて「馬」を奉納したとか?(^。^)ゞ
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帰り際振り返ると、最初に登ってきたときより楼門が明るくみえました(*^ー^*)
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見慣れた大石段を下ります(*^。^*) 当初この大石段は、道真公がこの地に立ち寄ったときの年齢にあわせ57段でした。そんな風にこだわりのある段数だったのに、現在は最上段を積み上げ、58段となり、一番下から数えると96段になるんですって♪ 数えたことなかったけど、今度かぞえてみようかな(*^ー^*)
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大専坊入り口です(*^ー^*) 防府天満宮には別当寺(神仏習合説に基づいて神社に設けられた神宮寺のひとつ)がこの大専坊を始めとして9社坊がありました。1557年には、毛利元就が大内義長を山口に攻めた時、ここ大専坊を参謀の本陣として大内義長を追放し防長二州を治めました。また幕末には木島又兵衛が、遊撃隊の屯所としてここに陣を張り、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋などの志士達も訪れていた場所なのです♪ さすが山口!だんだんさびしげになっていく防府の町・・・お願いだからみんな忘れないで(*^^)ノ
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大内御堀のグリーンパークで「カマンベールチーズケーキ」をゲットしました\(^。^)/ 本当は、「トラットリア・マーレ」でバイキングをチャレンジする予定だったのですが、料金がおひとりさま2800円と我が家の夕食予算をオーバーしたため、急遽「おうちで焼肉」プランにかわってしまいました・・・(^^ヾ でも、ケーキだけは食べてみたいっ!という欲求を抑えることができず、CFは友達のお土産にココアクッキーを、わたしは夕食の焼肉用(?)にバケットを2本と、デザート用にこの「カマンベールチーズケーキ」を購入したのでした♪ 甘さ控えめで、CFと二人で山分けして食べましたがおいしかったですよぉ(*^。^*) 欲を言えば、もう少しチーズの香りが強くてもいいんだけどな、私は(^^ あぁ、今日も大満足な一日だった!
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