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 平成15年に対馬を30年振りに訪れた。まさしくタイムマシーンで自分の過去を振り返る旅となった。20代の若かりしあの頃が脳裏に甦り、懐かしさで一杯になった。昭和40年代対馬へ行くには貨客船しかなかった。当時の船は客室が左右に分かれ2等は船倉にあり異様な臭いが漂う貨客船であった。壱岐まで2時間半、その後対馬海峡を越え厳原まで2時間半かかり、時化た時はかなりの船酔いで座って本など見る余裕はなかった。今では高速船や飛行機で便利になったが、赴任した頃は国境の島にふさわしく本土への往復などは大変だった。本当に数十年が経った時代の流れを感じる。30年前美津島町の山を削っていたのは覚えているが、その地に空から降り着くとは考えてもいなかった。昔の同僚が迎えに来てくれ、懐かしさでお互いの時間が一気に昔に戻ったよう<br />であった。若かりし20歳代の話に盛り上がり、まずは万関橋に行き、浅茅湾を見に行くことにした。日本海に通ずる海峡運河の上島と下島間にかかるアーチ型の万関橋は三代目となっていた。峰町の烏帽子岳に登り浅茅湾を一望した。点在する島々やリアス式の入り江など見事な海、空、島や陸地の色合いのコントラスが映え、自然の美しさは見事で筆舌しがたい景観である。過去も現在も変わらない美しさを伝えてくれる浅茅湾である。烏帽子岳(豊玉町)の裾野にある海神神社の和多都美神社は海幸彦山幸彦の神話伝説や満潮時に鳥居が海中につかることで知られている。この近くに神話の里自然公園がありキャンプ場として利用できるようになっている。そこから烏帽子岳へは登る。豊玉町も当時は舗装されてなく、時間もかかり難儀だった。豊玉から下県へ向かう道路も整備されていて、飛行場から厳原までの幹線道路にはトンネルもでき時間もかなり短縮されている。都会と変わらない郊外型のスーパーやパチンコ店などが立ち並んでいる。何もなかった当時を知っているためとても違和感があった。本土化することが島に必要なことなのか疑問を感じる。海に囲まれ自然に恵まれているからこそ離島の価値があると思う。対馬の良さがなくなってしまったようで一抹の寂しさを受けた。昔の美しさが脳裏に残っていて残念な思いだ。車もあまり走っていなく、道路沿いに畑や小さな漁村など目にすることができた。次に美津島町に下った。文永の役元寇合戦跡の小茂田神社の浜は一変していた。護岸工事のためテトラポッドがずらりと顔をだし、元軍を迎え撃つ勇姿の碑とそぐわなくなっていた。小茂田浜から椎根川沿いに進むと、わずか数戸のみとなった石屋根の建物がある。対馬でしか見られない珍しい建物で、板状で屋根を葺いている倉庫の数が減っていた。当時はかなりの石屋根倉庫がまだ残っていてまさしく倉庫群だったが、荒廃が進んでいた。その後島を南下し、対馬南西端の豆酘崎を抜け、鮎が登れずに戻ったという鮎戻し自然公園を訪れた。自然の景観を生かしたレジャー公園となっていた。<br /> 久田を通り懐かしい旧厳原の市街へ入った。武家屋敷をはじめとして一つ一つの建物が頭に浮かび、自転車で乗り廻したのが昨日のような気がする。最後に万松院を訪れた。万松院は宗家の菩提寺であり、百雁木の石段が幽玄な雰囲気を醸し出し、その石段を登った所に宗家の立派な墓がずらりと並ぶ。対馬に赴任した日に訪れた所がこの万松院で感慨深さもひとしおであった。あの時の厳粛に心を引き締めてくれた空気が甦ったようだった。 <br /> 対馬は最初の赴任地であり、今も当時の仲間達と交流があるこの対馬は第二の青春の地である。私が仕事の姿勢を学んだ地でもある。この対馬の旅は私の青春を辿る旅となり充分なノスタルジアを誘ってくれた。対馬の土地は変化しても私の心に三十年前の対馬がいつまでも残っている。あの冬の厳しい空っ風や雄大な自然の対馬は今も忘れられない。人情味溢れた対馬が私の心にいつまでも残りつづけてくれ、島の方のやさしさに感謝したい。                    感謝<br /> <br />  <br /><br />

懐かしい対馬を訪れてー我が青春

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2003/07/24 - 2003/07/26

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kakusan

kakusanさん

 平成15年に対馬を30年振りに訪れた。まさしくタイムマシーンで自分の過去を振り返る旅となった。20代の若かりしあの頃が脳裏に甦り、懐かしさで一杯になった。昭和40年代対馬へ行くには貨客船しかなかった。当時の船は客室が左右に分かれ2等は船倉にあり異様な臭いが漂う貨客船であった。壱岐まで2時間半、その後対馬海峡を越え厳原まで2時間半かかり、時化た時はかなりの船酔いで座って本など見る余裕はなかった。今では高速船や飛行機で便利になったが、赴任した頃は国境の島にふさわしく本土への往復などは大変だった。本当に数十年が経った時代の流れを感じる。30年前美津島町の山を削っていたのは覚えているが、その地に空から降り着くとは考えてもいなかった。昔の同僚が迎えに来てくれ、懐かしさでお互いの時間が一気に昔に戻ったよう
であった。若かりし20歳代の話に盛り上がり、まずは万関橋に行き、浅茅湾を見に行くことにした。日本海に通ずる海峡運河の上島と下島間にかかるアーチ型の万関橋は三代目となっていた。峰町の烏帽子岳に登り浅茅湾を一望した。点在する島々やリアス式の入り江など見事な海、空、島や陸地の色合いのコントラスが映え、自然の美しさは見事で筆舌しがたい景観である。過去も現在も変わらない美しさを伝えてくれる浅茅湾である。烏帽子岳(豊玉町)の裾野にある海神神社の和多都美神社は海幸彦山幸彦の神話伝説や満潮時に鳥居が海中につかることで知られている。この近くに神話の里自然公園がありキャンプ場として利用できるようになっている。そこから烏帽子岳へは登る。豊玉町も当時は舗装されてなく、時間もかかり難儀だった。豊玉から下県へ向かう道路も整備されていて、飛行場から厳原までの幹線道路にはトンネルもでき時間もかなり短縮されている。都会と変わらない郊外型のスーパーやパチンコ店などが立ち並んでいる。何もなかった当時を知っているためとても違和感があった。本土化することが島に必要なことなのか疑問を感じる。海に囲まれ自然に恵まれているからこそ離島の価値があると思う。対馬の良さがなくなってしまったようで一抹の寂しさを受けた。昔の美しさが脳裏に残っていて残念な思いだ。車もあまり走っていなく、道路沿いに畑や小さな漁村など目にすることができた。次に美津島町に下った。文永の役元寇合戦跡の小茂田神社の浜は一変していた。護岸工事のためテトラポッドがずらりと顔をだし、元軍を迎え撃つ勇姿の碑とそぐわなくなっていた。小茂田浜から椎根川沿いに進むと、わずか数戸のみとなった石屋根の建物がある。対馬でしか見られない珍しい建物で、板状で屋根を葺いている倉庫の数が減っていた。当時はかなりの石屋根倉庫がまだ残っていてまさしく倉庫群だったが、荒廃が進んでいた。その後島を南下し、対馬南西端の豆酘崎を抜け、鮎が登れずに戻ったという鮎戻し自然公園を訪れた。自然の景観を生かしたレジャー公園となっていた。
 久田を通り懐かしい旧厳原の市街へ入った。武家屋敷をはじめとして一つ一つの建物が頭に浮かび、自転車で乗り廻したのが昨日のような気がする。最後に万松院を訪れた。万松院は宗家の菩提寺であり、百雁木の石段が幽玄な雰囲気を醸し出し、その石段を登った所に宗家の立派な墓がずらりと並ぶ。対馬に赴任した日に訪れた所がこの万松院で感慨深さもひとしおであった。あの時の厳粛に心を引き締めてくれた空気が甦ったようだった。
 対馬は最初の赴任地であり、今も当時の仲間達と交流があるこの対馬は第二の青春の地である。私が仕事の姿勢を学んだ地でもある。この対馬の旅は私の青春を辿る旅となり充分なノスタルジアを誘ってくれた。対馬の土地は変化しても私の心に三十年前の対馬がいつまでも残っている。あの冬の厳しい空っ風や雄大な自然の対馬は今も忘れられない。人情味溢れた対馬が私の心にいつまでも残りつづけてくれ、島の方のやさしさに感謝したい。                    感謝
 


  • 上島と下島をむすぶ万関橋

    上島と下島をむすぶ万関橋

  • 自然の景観がすばらしいあそう湾

    自然の景観がすばらしいあそう湾

  • 海彦山彦の神話伝説の和多津美神社

    海彦山彦の神話伝説の和多津美神社

  • 石で屋根を葺いた石屋根

    石で屋根を葺いた石屋根

  • 宗家の菩提寺となっている万松院

    宗家の菩提寺となっている万松院

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