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打球音が響き 歓声が沸き起こる市民球場。<br /><br />そこから路面電車の往来する大通りを挟んだ、豊かな水量の川のほとり。<br />朝夕の涼しさを忘れるような暖かな日射しの下家族連れや散歩するお年寄り、ギターを片手にBGMを奏でる青年達。<br />にぎやかなこの場所に、それはひっそりとたたずんでいる。<br /><br />    「原爆ドーム」<br /><br />剥き出しの鉄骨を晒すその姿は音もなく心に大きな衝撃を与える。<br /><br />おだやかな昼下がりの公園の風景の中のそれは全くアンバランスに思えてしまう。<br />しかし そのアンバランスさの中に忘れてはならない何かを感じさせる。<br /><br />悲惨な半世紀以上前の出来事を平和な今に伝える大切な存在として雨の日も風の日もその姿を人々に見せ続けて来た。<br /><br />「70年は植物が生えない」と言われた場所に大木が根付き、その太い枝には苔がむしている。<br />それはあたかも壊滅した街の中で生きようとした人々の心を表しているようにも思える。<br />力強く、前向きに。<br />生を求め続けた人々の力がそこにある。<br />

戦争と平和~広島の灯~

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2003/09 - 2003/09

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basyo

basyoさん

打球音が響き 歓声が沸き起こる市民球場。

そこから路面電車の往来する大通りを挟んだ、豊かな水量の川のほとり。
朝夕の涼しさを忘れるような暖かな日射しの下家族連れや散歩するお年寄り、ギターを片手にBGMを奏でる青年達。
にぎやかなこの場所に、それはひっそりとたたずんでいる。

    「原爆ドーム」

剥き出しの鉄骨を晒すその姿は音もなく心に大きな衝撃を与える。

おだやかな昼下がりの公園の風景の中のそれは全くアンバランスに思えてしまう。
しかし そのアンバランスさの中に忘れてはならない何かを感じさせる。

悲惨な半世紀以上前の出来事を平和な今に伝える大切な存在として雨の日も風の日もその姿を人々に見せ続けて来た。

「70年は植物が生えない」と言われた場所に大木が根付き、その太い枝には苔がむしている。
それはあたかも壊滅した街の中で生きようとした人々の心を表しているようにも思える。
力強く、前向きに。
生を求め続けた人々の力がそこにある。

  • 往時を知らぬ現代の若者である私にも真直ぐに伝わってくるエネルギーを全身に浴び、厳粛な気持ちにさせてくれた。<br /><br /><br />そこから平和を願って燃え続ける炎と祈りに満ちた千羽鶴を横目に進むとドームとは打って変わって近代的な建物が見えてくる。<br />こちらは古くから小学生の修学旅行の最有力ポイントとなっている原爆資料館である。<br /><br />戦傷者や障がい者は無料。健常者でも子どもは無料。<br />大人でさえ50円という時代を間違えたかのような入場料に、この街の人達の想いが浮き彫られている。<br /><br />一昔前と比べて幾分も恐ろしさが減少された資料館だが、やはり遺物を拝見するうちに原爆の恐怖が見えてくる。<br />離れた2棟に分かれている資料館で、初めは科学的な要素から原爆を分析・紹介するパネルコーナーになっている。<br /><br />戦前、城下町として栄えた広島の町の模型と、原爆投下後の広島の模型が並ぶ。<br />いかにして原爆を投下するに至ったかや何故広島が実際の投下ポイントとして選ばれてしまったのかなども書かれている。<br /><br />その内容を簡単に紹介すると、<br /><br />・米軍の戦死傷者を少しでも少なくしたい。<br />・ヤルタ会談でソ連の対日参戦が決定されたのを受けて、戦後世界で優位な立場に立ちたい。<br />・世界で初めての原子爆弾の威力を験したい。<br /><br />以上の3つが米国に原爆投下を急がせた主な理由であるという。<br /><br />そして<br />・原爆の威力を検証するにあたって、広島の広く開けた地形が適していたこと。<br />・軍事施設や軍需工場が集中していたこと。<br />・大都市のほとんどが焼け野原の日本で、数少ない原形を留めた街であったこと。<br /><br />これらが投下場所に広島が選ばれた要因ということだ。<br /><br />過去に聞いた話では、新潟あたりをポイントにしていたエノラゲイだったが、当日の天候が思わしくなかったために広島にした。<br />ということも聞いたことがある。<br /><br />こうした歴史的背景がたくさん書かれているが、ある意味で主役であろう小学生にはなかなか難しい内容である。<br />おじいちゃんと思しき老人が孫に必死で「これは○○で、あれは××だよ」 と説明しているのだが、<br />当の孫の表情を見ると何故か虚しく思えてしまった。<br /><br /><br />後の方の棟はと言うと、それこそまざまざと実際の苦しみを滲み出させるかのような展示棟となっている。<br />暗いトンネルのような入口を通ると皮膚の垂れ下がった人を模した展示物や、焼け焦げたお弁当箱、階段に染み付いた人の影<br />といった展示物が所狭しと陳列されている。<br />中には全身がケロイド状になった学生の写真や、失礼な言い方だが見るも無残な状態に焼け焦げた顔(形は成していない)の女学生の写真もある。<br /><br />目を覆いたくなるような、とはまさにこういうことなのだろうと思ってしまう。<br />もちろん目を背けずにしっかりと瞼に、脳裏に焼きつけなければならないものだが。<br /><br />当時、恐らく広島ではないどこかで戦争を生き抜かれたのであろう老夫婦がそれらを見て<br />「痛かっただろう、苦しかっただろうに」<br />と話されているのを耳にして本当に居たたまれない気持ちになった。<br /><br /><br />そのエリアを過ぎると陽光差し込む明るいプロムナード状の廊下に出る。<br />ここでは被爆時子どもだった市民の方々が当時を回想して描いた絵画が、強烈なメッセージを放っていた。<br />柔らかい言葉遣いでリアルにコメントを寄せているのだ。<br />「ピカは人が落とさにゃ 落ちて来ん」 ともある。<br /><br />その先に様々な著名人の来館の写真とコメントがある。<br />代々の米大統領やヨハネパウロ2世、マザーテレサなど。<br />いずれも悲惨な歴史を繰り返さぬことを誓う内容であった。<br /><br />横には一般の人達の感想が書き綴られたノートが置いてあり、子どもが「こわかった」と率直なコメントを書いていた。<br />外国人の書き込みも多数あり、米国人の女性は<br />「いかなる理由があろうとも、今後一切核兵器の使用は許せない」 と書き、フランスの女性は<br />「外交の1手段である戦争。これによって失われる尊い物と生まれる憎しみとを思うと胸が痛むが、<br />   核に対する抑止力は核を有する軍事力だろう。」 とコメントしていた。<br /><br /><br />これらをどう判断すべきなのか、正直迷う。<br />倫理観と社会的な潮流、2つの狭間には切って切れぬ物があるが、決して融合はできないようにも思う。<br /><br />核配備に対して核配備で対抗する。<br />平和のための核配備。<br />余りに大きな矛盾だ。<br />しかし当然と言われてしまえばそうかも知れない。<br /><br />日本だって核こそなけれ、相当な軍事力を有している。<br />これは他国が侵攻してきた際(俗に言う有事)に抵抗して国民の生命そのものを守るためのものだとされている。<br />(実際のところはそうではないように感じるが・・・)<br /><br />主権国家たるもの国民や国としての財産を守る権利と義務があるのだから、防衛能力は必要だろう。<br />国家レベルの防犯グッズと言えないこともないのだから。<br /><br />ただ、夢うつつを語ることが許されるのであれば、私は声を大にして<br />「何よりも重い1人の命を消してしまう戦争は絶対にあってはならない!」 と言いたい。<br />「世界中の武器を全て同時に廃棄せよ!」などと有り得ないことも言いたい。<br /><br />だが、犯罪者に対して警官が必要だということは誰もが当然に受け入れている事実である。<br />これとどこが違うのか、ということになってしまうのかも知れない。<br /><br />それでも、全ての人類の未来のために、少しずつ、本当に少しずつでも武器にさよならできるはず。<br /><br />誰もが望む 「平和」 を真直ぐに求められないような、感情で戦争反対と言い切ることができないような、<br />そんな歯痒さはどこまでもつきまとう。<br /><br />しかし、本当の平和を求めるのであれば、石油を取り合って殺し合ったり、それを見てここぞとばかりに<br />小国を叩き潰したりするようなことを 世界の大国がするべきではないだろう。<br /><br />大国から武器を捨てること。 <br /><br />そうしなければ小国は武器を手放せないではないか。<br />そんな悪循環はすぐにでも断ち切りたいとは思わないだろうか。<br /><br />自国の国民を守ることが最優先なのだろうが、それによって他国で血が流れることを厭わないのであれば<br />そんなところに平和など訪れない。存在し得ない。<br /><br /><br />資料館の中、あまり目に付かない柱一面に過去の全ての核実験に対する抗議文が展示されている。<br />これらは実際に広島市長が各国の首脳などに送りつけたものだ。<br />結果、核実験は未だ存在している。<br />しかし、ここにも世界で唯一の被爆国、人類史上2例しかない核爆弾の実使用の被害を受けた町の<br />その叫びが込められている。<br />そう、広島という国に落ちたのではない。<br />日本の広島という町に落とされたのだ。<br />日本は世界で唯一の被爆国なのだ。<br />その赤裸々な怒りと悲しみの叫びを、広島・長崎の人々のみに押し付けて良いわけがない。<br />全ての日本国民があの痛みを忘れることなく、誰よりも先頭でフラッグ オブ ピースを振り続けなければならないのだ。<br />ショー ザ フラッグ 糞食らえ<br />我々日本人は、他の誰も味わったことのない苦しみを実際に受けたのだ。<br />もう誰にもあの苦しみを味わわせたくない。<br />他国の軍事国家よ、この意味が理解できないのであれば、あなたの国が次の被爆国になりますか?<br />その苦しみを胸に60年を歩みますか?  そして<br />日本国民よ、60年で痛みを忘れたのですか?<br /><br /><br />平和公園にこんな言葉がある。<br /><br />「安らかにお眠りください。 過ちは二度と繰り返しませぬから」<br /><br />この言葉が、約束が、未来永劫に守られますように・・・。<br /><br /><br /><br />     平和の中で、平和を知らぬ私達<br /><br />          信仰の侵攻ではなく親交の進行を!

    往時を知らぬ現代の若者である私にも真直ぐに伝わってくるエネルギーを全身に浴び、厳粛な気持ちにさせてくれた。


    そこから平和を願って燃え続ける炎と祈りに満ちた千羽鶴を横目に進むとドームとは打って変わって近代的な建物が見えてくる。
    こちらは古くから小学生の修学旅行の最有力ポイントとなっている原爆資料館である。

    戦傷者や障がい者は無料。健常者でも子どもは無料。
    大人でさえ50円という時代を間違えたかのような入場料に、この街の人達の想いが浮き彫られている。

    一昔前と比べて幾分も恐ろしさが減少された資料館だが、やはり遺物を拝見するうちに原爆の恐怖が見えてくる。
    離れた2棟に分かれている資料館で、初めは科学的な要素から原爆を分析・紹介するパネルコーナーになっている。

    戦前、城下町として栄えた広島の町の模型と、原爆投下後の広島の模型が並ぶ。
    いかにして原爆を投下するに至ったかや何故広島が実際の投下ポイントとして選ばれてしまったのかなども書かれている。

    その内容を簡単に紹介すると、

    ・米軍の戦死傷者を少しでも少なくしたい。
    ・ヤルタ会談でソ連の対日参戦が決定されたのを受けて、戦後世界で優位な立場に立ちたい。
    ・世界で初めての原子爆弾の威力を験したい。

    以上の3つが米国に原爆投下を急がせた主な理由であるという。

    そして
    ・原爆の威力を検証するにあたって、広島の広く開けた地形が適していたこと。
    ・軍事施設や軍需工場が集中していたこと。
    ・大都市のほとんどが焼け野原の日本で、数少ない原形を留めた街であったこと。

    これらが投下場所に広島が選ばれた要因ということだ。

    過去に聞いた話では、新潟あたりをポイントにしていたエノラゲイだったが、当日の天候が思わしくなかったために広島にした。
    ということも聞いたことがある。

    こうした歴史的背景がたくさん書かれているが、ある意味で主役であろう小学生にはなかなか難しい内容である。
    おじいちゃんと思しき老人が孫に必死で「これは○○で、あれは××だよ」 と説明しているのだが、
    当の孫の表情を見ると何故か虚しく思えてしまった。


    後の方の棟はと言うと、それこそまざまざと実際の苦しみを滲み出させるかのような展示棟となっている。
    暗いトンネルのような入口を通ると皮膚の垂れ下がった人を模した展示物や、焼け焦げたお弁当箱、階段に染み付いた人の影
    といった展示物が所狭しと陳列されている。
    中には全身がケロイド状になった学生の写真や、失礼な言い方だが見るも無残な状態に焼け焦げた顔(形は成していない)の女学生の写真もある。

    目を覆いたくなるような、とはまさにこういうことなのだろうと思ってしまう。
    もちろん目を背けずにしっかりと瞼に、脳裏に焼きつけなければならないものだが。

    当時、恐らく広島ではないどこかで戦争を生き抜かれたのであろう老夫婦がそれらを見て
    「痛かっただろう、苦しかっただろうに」
    と話されているのを耳にして本当に居たたまれない気持ちになった。


    そのエリアを過ぎると陽光差し込む明るいプロムナード状の廊下に出る。
    ここでは被爆時子どもだった市民の方々が当時を回想して描いた絵画が、強烈なメッセージを放っていた。
    柔らかい言葉遣いでリアルにコメントを寄せているのだ。
    「ピカは人が落とさにゃ 落ちて来ん」 ともある。

    その先に様々な著名人の来館の写真とコメントがある。
    代々の米大統領やヨハネパウロ2世、マザーテレサなど。
    いずれも悲惨な歴史を繰り返さぬことを誓う内容であった。

    横には一般の人達の感想が書き綴られたノートが置いてあり、子どもが「こわかった」と率直なコメントを書いていた。
    外国人の書き込みも多数あり、米国人の女性は
    「いかなる理由があろうとも、今後一切核兵器の使用は許せない」 と書き、フランスの女性は
    「外交の1手段である戦争。これによって失われる尊い物と生まれる憎しみとを思うと胸が痛むが、
       核に対する抑止力は核を有する軍事力だろう。」 とコメントしていた。


    これらをどう判断すべきなのか、正直迷う。
    倫理観と社会的な潮流、2つの狭間には切って切れぬ物があるが、決して融合はできないようにも思う。

    核配備に対して核配備で対抗する。
    平和のための核配備。
    余りに大きな矛盾だ。
    しかし当然と言われてしまえばそうかも知れない。

    日本だって核こそなけれ、相当な軍事力を有している。
    これは他国が侵攻してきた際(俗に言う有事)に抵抗して国民の生命そのものを守るためのものだとされている。
    (実際のところはそうではないように感じるが・・・)

    主権国家たるもの国民や国としての財産を守る権利と義務があるのだから、防衛能力は必要だろう。
    国家レベルの防犯グッズと言えないこともないのだから。

    ただ、夢うつつを語ることが許されるのであれば、私は声を大にして
    「何よりも重い1人の命を消してしまう戦争は絶対にあってはならない!」 と言いたい。
    「世界中の武器を全て同時に廃棄せよ!」などと有り得ないことも言いたい。

    だが、犯罪者に対して警官が必要だということは誰もが当然に受け入れている事実である。
    これとどこが違うのか、ということになってしまうのかも知れない。

    それでも、全ての人類の未来のために、少しずつ、本当に少しずつでも武器にさよならできるはず。

    誰もが望む 「平和」 を真直ぐに求められないような、感情で戦争反対と言い切ることができないような、
    そんな歯痒さはどこまでもつきまとう。

    しかし、本当の平和を求めるのであれば、石油を取り合って殺し合ったり、それを見てここぞとばかりに
    小国を叩き潰したりするようなことを 世界の大国がするべきではないだろう。

    大国から武器を捨てること。 

    そうしなければ小国は武器を手放せないではないか。
    そんな悪循環はすぐにでも断ち切りたいとは思わないだろうか。

    自国の国民を守ることが最優先なのだろうが、それによって他国で血が流れることを厭わないのであれば
    そんなところに平和など訪れない。存在し得ない。


    資料館の中、あまり目に付かない柱一面に過去の全ての核実験に対する抗議文が展示されている。
    これらは実際に広島市長が各国の首脳などに送りつけたものだ。
    結果、核実験は未だ存在している。
    しかし、ここにも世界で唯一の被爆国、人類史上2例しかない核爆弾の実使用の被害を受けた町の
    その叫びが込められている。
    そう、広島という国に落ちたのではない。
    日本の広島という町に落とされたのだ。
    日本は世界で唯一の被爆国なのだ。
    その赤裸々な怒りと悲しみの叫びを、広島・長崎の人々のみに押し付けて良いわけがない。
    全ての日本国民があの痛みを忘れることなく、誰よりも先頭でフラッグ オブ ピースを振り続けなければならないのだ。
    ショー ザ フラッグ 糞食らえ
    我々日本人は、他の誰も味わったことのない苦しみを実際に受けたのだ。
    もう誰にもあの苦しみを味わわせたくない。
    他国の軍事国家よ、この意味が理解できないのであれば、あなたの国が次の被爆国になりますか?
    その苦しみを胸に60年を歩みますか?  そして
    日本国民よ、60年で痛みを忘れたのですか?


    平和公園にこんな言葉がある。

    「安らかにお眠りください。 過ちは二度と繰り返しませぬから」

    この言葉が、約束が、未来永劫に守られますように・・・。



         平和の中で、平和を知らぬ私達

              信仰の侵攻ではなく親交の進行を!

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この旅行記へのコメント (4)

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  • Morikonさん 2006/07/25 23:49:41
    こちらでは初めまして。
    basyoさん、こんばんわ。
    私も2度(19歳と30歳の時)、
    原爆資料館へ足を運んだことがあります。
    その時まず思ったのが
    「なぜ、私の中学・高校の修学旅行先は
    どちらも京都・奈良だったのか」でした。
    旅費をおさえて親の負担を軽くするため、
    もしくは生徒の希望通りだったのか、
    もう20年も前のことゆえ覚えていませんが、
    できるだけ若いうちに、多くの人が、
    ここへ来たほうがが良い、と感じました。
    1000年前の貴族文化をなぞるより、
    近代の人類の過ちを知るほうが、
    より未来に生かせる、と思うからです。

    basyo

    basyoさん からの返信 2006/08/04 14:13:45
    こんにちは!Morikonさん
    お返事が送れて申し訳ありません。
    ちょっと18切符で岐阜方面に出かけて参りましたもので。

    修学旅行について、確かにどういう基準で行き先を決めているのか気になるところですね。私はずっと大阪育ちなのですが、小学校がお伊勢さん、中学が白馬、高校が会津とTDLでした。よく分かりませんね…。

    広島生まれなので幼少の頃に原爆資料館には個人的に行ったのですが、学習の一環としては訪れたことがありません。
    私も個人的にはなるべく若い内に訪れてもらいたいと思っています。たとえ深く理解できないとしても、事実だけでも風化させずに知っておいてもらいたいからです。
    明後日は原爆祈念日ですね。

    ご丁寧に私の掲示板にも書き込んで頂いてありがとうございました。
    今回の岐阜(郡上八幡)では下手な私でも美しく撮れてしまうぐらい良い風景があったので、時間があれば久しぶりに旅行記を書いてみたいと思います。来週にはまた2週間ほど関東に行くので難しいかも知れませんが…。
  • まーがりんさん 2004/12/14 18:50:34
    広島旅行記
    原爆資料館は私も是非また訪れたい所です。basyoさんの詳しい解説を見て、あの時見た展示やその時の気持ちを思い出しました。
    うちの母が新津出身で晴れていたらそちらが標的に選ばれていたかもしれないんです。

    basyo

    basyoさん からの返信 2004/12/14 19:47:33
    RE: 広島旅行記
    まーがりんさん、ありがとうございます。
    自身の旅行記は基本的に「旅行記」ではないと自覚しています。
    でも、読んでくださった方に「行ってみたい」と思って頂けることを
    最大の目標にして書き込んでいるので、まーがりんさんのコメントは何よりもありがたいお言葉です。

    みなさんの書き込みを拝見し、改めて日本中に広島と関係のある人が
    いらっしゃるんだな、と再認識致しました。
    私も呉の出です。
    広島に生まれ育ちながら、往時の悲しみを踏みつけてしまっている友人に
    自分の考えや気持ちを伝えたくて長ったらしい文章を載せました。
    まだ彼からのリアクションはもらえてませんが・・・。
     

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