1992/07 - 1992/11
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maida01さん
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以前Webに書いた旅(正確には出張)の記録。
凄い・ミステリアスな旅だったので、
皆さんが読んでも面白いと思い、少々修正して掲載しています。
(追加:www.world66.comで作った、行ったアメリカの州の地図をつけました 2004/6/23)
旅の記録が正確には判らないが以下のような日程だったと思う。
成田ー>ボストン/ウォルサム1泊
バージニア州ハーンドン(2週間)
ダラス(3泊)
ニュージャージー(3週間ほど)
ダラス(3週間)
セントルイス(3週間)
ロサンゼルス(2週間)
ボストン(3週間)
デトロイト(1週間)
ボストン(2週間)
だったと思います。合計すると4ヶ月を超えてしまうので、何処かが多いようですが。
数週間滞在している場所では、車で1時間から3時間程のオフィースをあちこちと訪問していたから、気分的にはもっと沢山の場所へ行った気がします。
14年間勤務した大手コンピュータ会社を退社し、
世界一のSI企業E社の日本支社へ転職(1991年9月)。
入社後6ヶ月目くらいに、部長からアメリカへ長期に行く仕事があるが行きますかと打診される。断るわけがない。即YESで出張が決まる。通信事業社向け営業部へのスタディの出張だけは判っていたが、どこへ、何のために、期間など、何も判らないという。
女房も子供を連れて移住すると言い出したが、実際にはアメリカをあちこち移動になりそうで家族は同行しなかった。
1週間とか2週間毎にいろいろな都市にあるE社のオフィースを回って、仕事を聞いて回るスタディ旅行だった。次にどこへ行くのかは2,3日前に知らされるという大変な旅だった。航空券と行き先の住所、訪問相手名、ホテル名、レンタカーの予約番号だけが、移動数日前に宅急便でホテルに届く。
それぞれの目的も明確でない。大変な旅だった。まるでシークレット・サービスのような仕事だった。
次は何処か、いつ帰れるのか、何も知らされない。
1992年7月6日に日本を出発して旅が始まった。
初めの指示で日本からボストンへ。空港で運転手が私の名前を書いたプラカードを持って出迎え、ホテルへ連れて行ってくれた。1泊して、チェックアウトするのかも不明だったが、取りあえずチェックアウトして待つ。迎えの人がオフィースへ連れていってくれた。午前中会議、午後にワシントンDCの空港へ飛んで、バージニア州ハーンドンという町にあるオフィースへ。ここには2週間程いた。
7月11日が私の誕生日で、土曜だか日曜だったので、車で遊びに出かけた。出掛けから帰ってきたら、メッセージのランプが点滅。テレビでメッセージが見れるホテルだったので、確認すると、Happy Birthday from wife となっていた。英語で交換手に言われるよりも感激した。
仕事はあちこちの人々に何をしているかを聞きまわるだけ。ワシントンDCの中心街のビルの奥のほうにある、会社でアメリカ政府へのロビー活動をしている部門へも話を聞きに行く。
次がダラスで3日程。たまたま日本から別な仕事で来ていた同僚と食事が出来た。
次にニュージャージで3週間。1週間後に子供が夏休みになったので、日本から女房、子供二人がやってきた。初め下の子が熱を出して、3日程遅れ、ニュージャージの空港に到着した時は上の子が車椅子で出てきてビックリ。成田空港に着いた時に風邪を引いてしまって、飛行機内でうなされて大変だったそうだ。到着した時、本人は元気だったが。
次がダラスで3週間。2週間は非常に厳しいコンサルタント教育に出席。じいさん、ばあさんばかりの教育なのに、後半は発表のために毎日午前様。このダラスの終わりに家族は日本へ帰り、私はセントルイスへ向かった。
この5週間のニュージャージー、ダラスでの家族との生活は良い思い出だ。女房・子供は車であちこちと遊びまわり、子供はプール遊びなどにも充分楽しんだ。この5週間がなかったら、私の4ヶ月の出張は続かなかったろう。
3週間いたオフィース訪問は、セントルイス郊外の田舎町だった。毎日ホテルから目の前の会社へ、夕方はモールで食事し、暇なのでパソコン屋周り。週末にローカルの自動車レースを見に行く。目の前で大きなアメ車が疾走するのは迫力。
途中で3連休があり、昔住んでいたケンタッキー州レキシントンへ。金曜日午後早目に出発。7時間位かかるが、一人旅では3時間位で挫折し、途中のモーテルで1泊。久々のレキシントン、友人と話が出来たが、1日で充分。町を出る時は、2度と来ることはないだろうという思いで、涙が出そうだった。帰りも途中で1泊。
次がロサンジェルスで南カリフォルニア大学のセミナーに2週間出席。ベニスビーチの脇のマリナ・デル・レイという町のホテル。難しく大変な教育であったが、沢山のアメリカの電話会社の部長達との楽しい2週間だった。途中で皆でプロフットボールの試合も観にいった。最後の日にはベニスビーチで1日日向ぼっこ。
9月末の未だ暖かいロサンジェルスから寒くなりかかっているボストンへ夜行便で飛んだ。朝5時にボストン到着。レンタカーでウーバンというボストン郊外の田舎町の会社所有のマンションへ。3週間ここに居て、1週間デトロイトへ教育出席。ここで雪になった。またボストン郊外で2週間。ボストンでも雪を何回か経験した。
デトロイトでは久々に叔母の家まで行く。アメリカへしょっちゅう来ていると叔母に会うチャンスも多く、何となく安心出来る。
ボストンでは会社のアパートに住んで居たので気も楽だったし、生活している感じがあった。ボストン周辺は小さな州が多く、ニューイングランド地方と言われ、ニューヨーク州の東側全体を指している。アメリカに移住者が初めて到着した地域で、歴史もあり、いろいろ見て回る場所がある。ニューイングランドはボストンを中心に1,2時間であちこちに行けるんで、暇な土日は車であちこち見て回った。北へ1時間も飛ばすと、キッタレーモールという巨大なアウトレットモールがあり、メイン州なので近所の小さなレストランでも美味しいロブスターが非常に安く食べられる。ボストン市内にもボストンティーパーティーを始め沢山の見る所があり、南に行けばケープゴット、メーフラワーの博物館、ジャズフェスティバルの始まったニューポートなどと見学に行く所が沢山ある。
やっと11月14日に帰国。良い経験だったが、永い旅だったし、会社からの支給が少なかったのでお金もかかった。
多分アメリカ人がやっても大変な旅だったのだろうと思う。普通は経験できないような旅でした。大変な反面、沢山の人から沢山の話を聞き、あちこちの町を見て、充分に楽しむことも出来ました。私を強くしてくれた旅でもありました。
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