1992/06/04 - 1992/06/05
860位(同エリア1028件中)
のらきちさん
グラナダからセビーリャ、そしてポルトガル国境を越えアルガルベのポルティマオまで。あの時は若かったのか、無謀な計画を立てたため、たいへんな道中でした・・・・
<当初予定>
6月4日 グラナダ(バス:2PM)→セビーリャ着(6:30PM)→万博会場で翌朝4時まで
6月5日 セビーリャ(鉄道)→アヤモンテ(船でポルトガル)→ヴィラ・レアル・デ・サント・アントニオ(鉄道)→ファロ(鉄道)→ポルティマオ
予定通り午後2時にグラナダをバスで出発。特急ではなかったため、時折、アンダルシア独特の「白い村」に立ち寄り、中には30分ほどの休憩もあった。アンダルシア名物のひまわり畑に挟まれた高原の道路を下ったが、最初の方はまだまだ緑の蕾で、一面黄色の世界はあきらめていた。が、標高が下がるにつれて黄色のひまわり畑を見ることができた。6時ごろにバスターミナルに到着。荷物をカディス駅に預けて、バスで万博会場へ。グワダルキビール川に面した長く広い会場の入り口に着いたころは夕方だったが、まだ明るかった。まずは日本館を目指し、久々の日本食を食べる。外に出たころには陽が沈み、多くのパビリオンが閉まりはじめていた。朝の4時まで開いていると思ったが、それはレストランや屋外の演奏会場だけだったようだ。6月のポルトガルの夜は寒く、暖まるためにセビーリャの若者に混じって踊りました。3時ごろにはほとんどどこもお開きになり、退出せざる得なく、若者達の後ろについて会場を去りました。外のバス停で凍えながら、始発のバスを待ちました。
夜が明け、始発のバスでカディス駅へ。しかし、まだ駅が開いておらず、外でうろうろ。結局7時ごろ荷物を引き取り、アヤモンテ行きの電車を探すも、この駅ではなくて、タクシーに乗りコルドバ駅へ。アヤモンテ行きが確かにあったが、なんと故障かなにかはわかりませんが不通だとのこと。英語がろくに通じず、バスがあることは分かったが、場所をいい加減に聞いたお陰で、またうろうろ。結局、タクシーでバスターミナルへ辿り着いた。
そこで、偶然(と言っても同じ目的地の)Aさん夫妻と鉢合わせ、ホッとしたことを思いだします。そんなことでしたので、セビーリャでは時間が無く、ヒラルダの塔も見られずもったいないことをしました。2両編成のバスに乗り込み、ウェルバ経由で国境の町アヤモンテに着きました。ここで、またまたトラブル。バスを降りて、船着場までの300メールぐらいでしたか、スーツケース引っ張り歩いていたら、取っ手がポロリ!スペインの石畳の振動で緩んだようです。重いケースをしばらく持ち上げていきました。グアディアナ川を渡る小さな舟で今回の目的地であるポルトガルへ入国。7日間のスペイン珍道中を終えました。ヴィラ・レアル・デ・サント・アントニオで、A氏夫妻とレストランで遅い夕食を。いわしの塩焼きが美味しかったのを覚えています。ここから、ポルティマオのホテルには、BMWのタクシーで1時間で到着しました。長が〜い、一日でした。
-
アンダルシアのひまわり畑。
グラナダからセビーリャへ移動のバスの車窓。
標高は500メートル??あたり -
アンダルシアのひまわり畑。
グラナダからセビーリャへ移動のバスの車窓。
標高は200メートル??あたり。このあたりでは、黄色の花が咲いていた。そういえば、スペイン人はひまわりの種を食べているのをよく見かけた。 -
セビーリャ万国博覧会の入り口の一つ。
夕方の7時はとっくに過ぎていた。 -
グワダルキビール川に面した会場。スペースシャトルがあるところは、「アメリカ公園」。1992年にここで開催されたのは、コロンブスの新大陸発見(1492)500年記念事業でした。
-
-
-
日本館。
外観はすべて「木」で作られていた。
当時、既に名古屋万博のPRをしていました。 -
展示品。
現在日本の街並みだったような・・ -
展示品。
-
黄金の茶室の内装。
外観も派手だったような。 -
展示品。
-
どこかの国のパビリオン、だと思う。
-
夜の会場。寒かった。
-
夜通しのディスコパーティ。
地元の若者の遊び場に変わっていた。 -
スペイン、ポルトガルの国境を渡す船。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
セビリア(スペイン) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
15