テムラック・チャオさんへのコメント一覧全3件
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ナコーン・シー・タマラート市内に残る城壁跡
ナコーン・シー・タマラート市内に残る城壁跡
中国の年代記によると、マレー半島東沿岸にリゴール
という首都をおくタンブラリンガという古代国家があると
されています。また、その地で発見された6世紀以前
のバーリ語経典により2世紀には既にこの王国が存在
することが明らかにされています。
その地が、現在のタイ南部、スラータニーとソンクラーと
の中ほどに位置するナコーン・シー・タマラートです。
さらには、775年の刻まれた石碑には仏教建造物の
建立が記されておりシュリヴィジャヤ(スマトラ島パレン
バン首都)の仏教の中心地として、13世紀にはインド
やスリランカとの交易で栄え商人で賑わったとされてい
ます。そして、山田長政終焉の地でもあります。
市営公園の端には、ナー・ムアン運河があり、運河に
沿った形で18-19世紀の北の城壁が街のシンボルとし
て456.5mほどあります。2.2km離れた南の城壁も
465.5mほどあります。元来はSi Thammasokarat王
と、インド人と南モン族とによって建てられたより古いも
のであったそうです。
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ようこそタイ王国・ナコーン・シー・タマラート県へ
山田長政の眠る街ナコーン・シー・タマラート
タイ仏教伝来の地で歴史散歩
江戸時代初期にタイ(当時シャム)に渡った山田長政
が最期を迎えたのが南部ナコーン・シー・タマラート(同
リゴール)。南部で最も人口の多い県であるにもかか
わらず、この地を訪れる日本人は年間1000人程しか
いない。しかし、紀元6世紀ごろから交易の中心地と
して栄え、上座部仏教がタイに最初に伝わった同県に
は、歴史的・宗教的見所が少なくない。外国人観光
客と出会うことの少ない観光地で歴史散歩をしてみ
ませんか。
ナコーン・シー・タマラート市内にある緑豊かなプラ
ーナカリン公園。その一角に「山田長政この地に眠
る」との森喜朗元首相直筆の文字が刻まれた石碑が
建つ。
江戸時代、アユタヤ日本人町の長となり、国王の
信任を得て高官位に付きながら権力争いに敗れ、今
のナコンシタマラート県に実質的左遷。その後の戦闘
で負傷した脚に毒薬を塗られて1630年(推定)死
亡した山田長政を、日タイ交流のシンボル的人物と
して祭るため、2001年8月、石碑が建立されること
になった。
この建立に尽力したナコーン・シー・タマラート県日
本友好協会のチャオ会長は、「ナコーン・シー・タマラー
トに住むタイ人の半数以上は山田長政の名前を知っ
ている」と話す。
日本庭園を一部模したとする公園の中には「タイ日
文化センター・ナコーン・シー・タマラート県」と書かれた
看板が立つ。まだ、具体的な施設があるわけではない
が、チャオ会長によれば、「この地に『タイ日文化センタ
ー』を建て、タイ日交流の場としたい。日本人とタイ人
カップルのための結婚式場としても利用してほしい」と
のことだ。公園内には石碑のほか、動物園、カメ園な
ども併設されている。
なお、ナコーン・シー・タマラート市内にあるナーン・ガー
ム通り「NANG NGAM RD」は山田長政の名前に由
来するもの。また、この通りに面する住居跡では定期
的に慰霊祭が行われている
http://www.yokosonakhon.com/2009年05月19日15時28分返信する