スーチーさん アラカルト - ヤンゴンのクチコミ
- タケさん
- 男性 / ヤンゴンのクチコミ : 9件
- 旅行時期 : 2014/02(約12年前)
去る2月1日、ミャンマーで国軍が突然クーデターを起こし、アウンサンスーチーအောင်ဆန်းစုကြည် 国家顧問-75才-らが拘束されて、国民民主連盟(NLD)の政権が覆された。 以降 各地で大規模な人民デモや不服従運動等が続いており-国軍の発砲により多数の死者も発生ー、インターネットや報道機関等の情報規制もなされている とのことで、早期の真の民主化を祈るばかりである。
少数派イスラム教徒ロヒンギャや 軍政色が強い憲法等の問題があるが、同国は敬虔な仏教国で 人々の心根は優しい。
旧首都ヤンゴンにあるスーチーさんの自宅は 観光コースのひとつになっているようであるが、塀で囲まれた広大な屋敷で、中は外からは見えない。 特にガードマンが居るわけでもなく、彼女がNLD(国民民主連盟)の代表として国会議員になる前の軟禁中に、毎日曜日 多くの支持者たちを前に演説をしていたのを思いだす(今はその場所とは思えないほど静かな環境)。 門の真上には、父親のアウンサン将軍の遺影写真が飾られている。 訪れた時には、ちょうどパリから来たというツアー客10数人がたむろしていた。 こんにちわ(パリジャン)→ボンジュール(当方)。 あちこちで体験したが(ウクライナ人「こんにちは」→当方「ズドラーフスト・ビッチェ」,イタリア人「さようなら」→当方「チャオ」)、日本語を話す外国人が随分居る。 ヤンゴンのNLD事務所では、種々の関連グッズが販売されている(NLDのシンボルマークは孔雀)。
*女史は「建国の父」と呼ばれ 暗殺されたアウンサン将軍の長女で、英国人と結婚し、1985年〜86年に 京都大学「東南アジア研究センター」にて在外研究のため、日本に滞在。1988年に母の看病のため帰国中に 民主化運動が起こり、国民民主連盟(NLD)を結成した。 その後、軍政による延べ15年間にもおよぶ自宅軟禁を強いられた(その間にノーベル平和賞に選ばれたが、出席出来なかった)。 2010年に開放され、2016年にNLD政権が発足して、スーチー氏が国家顧問兼外相(事実上の大統領)に就任していた。 ビルマは130余りもある多民族国家で、大多数を占めるビルマ族である彼女は、ネピドーへの首都移転やビルマからミャンマー,ラングーンからヤンゴン等への名称変更は、今だに認めていない。
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