アルザスワイン街道を走り、Bergheimベルクハイムの町で面白い「浅浮き彫り」を見つけた。
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- 旅行時期:2015/07(約10年前)
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by jijidarumaさん(男性)
アルザス地方 クチコミ:2件
【仏アルザス地方(コルマール・シュトラースブルク・アルザスワイン街道)】
<Die Elsaesser Weinstrasse (franzoesisch Route des Vins d’Alsace)アルザスワイン街道>
<“ Route des Vins d'Alsace ”(アルザスワイン街道)を走る。>
7月20日(月) 曇りのち晴れ 25~30.5℃ 129km;前半899km(予定より172km増)
Colmarコルマール =>アルザスワイン街道 (Turckheimテュルクアイム)32km (Katzenthalカッツェンタール) =>49km Koenigsbourgオー・クニグスブール城=>11km Bergheimベルクハイム =>(Riquerwihrリクヴィル) 21km Kaisersbergカイゼルスベルク=>16km Colmarコルマール・Romatik Hotel Le Mare’chalロマンチックホテル ル・マレシャル
かつてColmarコルマール見物やここを起点にアルザスワイン街道巡りをしました。Husserenユスランの古城の城址、Kaysersbergカイゼルスベルクの古城、Turckheimテュルクアイム、Riquerwihrリクヴィル、年末から元旦は素晴らしい快晴に恵まれたものです。2日はDombachダンバック、Molsheimモルスアイム、Barrバール、そしてStrasbourgストラスブールに。もうそれらの記憶も薄れている。
ヴォージュ山脈の東斜面に連なるアルザスのブドウ畑。その間を縫って、北はマルレンアイムから南はタンまで、およそ 170 km に渡ってアルザスワイン街道が続く。
春夏には深い緑に、秋には黄金色に色づく大地。石畳の路地に、窓辺を花々で彩った木組みの家々。街道沿いには 100 余りの村が点々とし、車を走らせると次から次へと可愛らしい町並みが目を楽しませてくれる。こうした田舎町では、気さくな居酒屋やこぢんまりした宿屋、試飲も楽しめるワインセラーが旅人を迎えてくれる。
通り沿いに点在する“ Route des Vins d'Alsace ”(アルザスワイン街道)の標識がワイン街道の目印。村と村の間の公共交通は発達していないので、できることならレンタカーやタクシーを利用したい。
また、鉄道が通っている町(オベルネ、バール、セレスタ、リボーヴィレ、コルマールなど)からタクシーで近郊を回り、コルマール発の観光バスを利用する方法もある。
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さて、この街道沿いのBergheimベルクハイムで面白いものを見つけた。
<Bergheimベルクハイム>
12:40~13:10
アルザスワイン街道に沿った美しい村(人口1,941人)で、村全体を防壁で囲んだ姿が今も見ることが出来る。いつ頃に砦があったか歴史的には不明だが、ローマ軍団が当地に砦を築いたことは知られている。
14世紀の初めにFamilie Rappoltstein (Ribeaupierre)ラッポルトシュタイン家が所有し、この頃に城壁が築かれたと云う。この村は二重の城壁が村を囲み、今も城壁、空堀、塔、家がかつての姿をよく残しているので、俯瞰図を見るときれいな楕円形を描いている。1313年に村はハプスブルグ家に譲渡され、その後も様々な所有者の手に渡っていった。
アルザスワイン街道を走ってくると、丁度、14世紀に造られ、村に唯一残ったObertor (La porte城門)の前に出る。城門の右手に無料駐車場があり、そこに停めて、しばし持参のお煎餅などを食べ、水を飲む。今日は朝食無しで出てきたので、クニグスブール城で食べればと思ったが、機会もなく、結局、お煎餅などでごまかした感じだ。
城門を抜け、木組みの家並みが好ましいメイン通りを行くと、直ぐに庁舎(1767年)前のマルクト広場に至る。そこには砂岩で造られた美しい泉が花々に飾られてある。周辺には木組みの家並みが魅力的だ。
村の教会は14世紀に建設され、新教の教会らしく、内部は実にシンプルだ。
特筆するべきは第二次世界大戦で戦死したドイツ人兵士、5,308人の墓地が近くに作られていることだろう。かつてアルザスはドイツであった。
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【「LACK'MI」と称する浅浮き彫り】
ベルクハイムで面白いものを見つけたというのは、この事である。
城門の壁に妙な格好した男がいた。兜を被り、剣を帯刀しているから兵士なのだろう、鼻に左手を当て、尻にも右手を当てている。砂岩でできた「LACK'MI」と称する浅浮き彫りである。1852年にはオリジナルは無くなってしまった。
この彫り物の説明版が側にあり、見てみると上部にフランス語、下部にドイツ語の説明文があった。村当局が掲示したもののようだ。
その説明は
「1534年から1852年まで、「LACK'MI」(彼のお尻を丸出しにして、追いかける敵をあざける男を表現した)の浅浮き彫りが掲げられていた。当時、浅浮き彫りはベルクハイム村の西の入口にあったそうです。
この地方ではこの“Spottfigurあざけった姿”はたいへん知られた存在になっていました。これは1361年、既に村が政治亡命の権利を認めていたことを示すものです。
またベルクハイムは744人の政治亡命者を受け入れた」と・・・書かれています。
ドイツ人兵士の墓地といい、政治亡命者の権利といい、ベルクハイムは優しい。
余談になるが、英語で“Kiss my ass!”と言われる言葉がある。直訳は「オレのケツにキスしろ」つまり相手を侮辱する言葉であり、「馬鹿やろう!」「ふざけんな!」といった意味があるから、上述の話と同じだ。
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尚、ベルクハイムの話に似て、以下の話がドイツにもある
<Goetz-Gedenkstein鉄腕ゲッツ記念碑>
Krautheimクラウトハイム近くのAltkrautheim をJagsttalstrasse (L1025)に沿って東の端まで行くと有名な記念碑があり、そこには"Goetz-Zitat"(ゲッツの格言・引用句)がある。
ゲーテの処女戯曲の作中では主人公ゲッツが「Leck mich am Arsch! くそくらえ!」(俺の尻を舐めろ!)と叫ぶシーンは有名になり、ドイツ語ではGoetz(ゲッツ)という言葉が “侮辱語:でくの坊、のろま、消えうせろ!”として通用するほどになったと云う。
<宗教改革者マルティン・ルターの日記>
彼の日記に「悪魔に罵られて“俺の尻をなめろ”と言い返した」と記されているという。
<モーツァルト作曲のLeck mich im Arsch俺の尻をなめろ>
『俺の尻をなめろ』はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが作曲したカノン形式の声楽曲。1782年にウィーンで作曲された。歌詞はドイツ語である。
作曲の経緯を示す資料は残されていないが、親しい友人たちとの内輪の集まりで、大勢で歌って盛り上がるために作られたものであろう。(Wiki)
Leck mich im Arsch!
Lasst uns froh sein!
Murren ist vergebens!
Knurren, Brummen ist vergebens,
ist das wahre Kreuz des Lebens.
Drum lasst uns froh und fröhlich sein!
Leck mich im Arsch!
俺の尻をなめろ
陽気にいこう
文句をいってもしかたがない
ブツブツ不平を言ってもしかたがない
本当に悩みの種だよ
だから陽気に楽しく行こう
俺の尻をなめろ
XXXXX
XXXXX
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- 景観:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
クチコミ投稿日:2025/11/06
いいね!:7票
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