クーデンホーフ光子が住んだお城でした
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- 旅行時期:2024/11(約1年前)
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by hijunoさん(非公開)
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オーストリア・ハンガリー帝国の伯爵で、外交官のハインリッヒ・クーデンホーフ・カレルギーが日本に赴任していた際に、日本人女性 青山みつと1893年に日本で初めての正式な国際結婚をします。その後日本で生まれた二人の子供を連れ、夫が城主を務めるドイツとの国境付近にあるボヘミア地方、現在のチェコのポベジョヴィッェという場所にあるロンスペルグ城に住みます。1896年から夫が急死するまでおよそ10年ほどの間居住したのがこのロンスペルク城です。この間は言葉や貴族としての教養を身に着け、結核やホームシックなどにも苦しみつつ、計7人の子供を出産し育てました。最期はウィーンで没しますが、日本には一度も帰国しませんでした。
光子の子供のうちの一人リヒャルトはのちに、「汎ヨーロッパ主義」の思想のもと、EUの産みの親となっています。
お城はチェコのプルゼンからローカル電車で乗り換えを一度して1時間と少しで到着します。ポベジョヴィッェの駅で下車してからは徒歩で20分ほどです。
周囲は自然に囲まれ、静かな環境でした。
お城は少しずつ修復が進められていたようで、上の階の部分は修復されていました。
下のほうは窓に板が貼ってあったり、むき出しになっているところもあり、まだまだ修復が進んでいないようでした。
戦争で、アメリカ軍やチェコ軍がお城に駐留しており、しばらくチェコの国境警備の場所としても使われており、お城はすっかり荒廃してしまったようです。
窓には、光子やハインリッヒの肖像画がありました。お城前にはクーデンホーフ光子の研究者で作家でもあるシュミット・村木さんの活動などで、日本庭園もできていました。
お城の中も見学できるようですが、訪れた際には冬のお休みに入っており、内部の見学はできませんでした。お城のそばにあるインフォメーションセンターがあり、パンフレット(日本語はありません)やお土産が少し置いてありました。
現在では国際結婚も珍しくなく、世界各地に日本人も多く住んでいる時代ですが、当時としては貴族と国際結婚をして日本から遠く離れた土地で強く生きていた日本女性がいたことを誇りに思います。
お城が一日も早く修復が進んでいくことを願ってやみません。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2024/12/17
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