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ドイツに支配されたダンツィヒ(グダニスク)に対抗して造られたポーランド最大の港町、そして大戦中の大悲劇『ヴィルヘルム・グストロフ号事件』

  • 4.5
  • 旅行時期:2021/04(約3年前)
ごーふぁーさん

by ごーふぁーさん(非公開)

グダンスク クチコミ:15件

● ポーランド最大の港 グディニャ(Gdynia)へ
第一次大戦後のベルサイユ条約で、グダニスク(ダンツィヒ)はポーランド国内に位置するも自由都市の名の下、国際連盟の統治下となり、ポーランドにとっては外国の地となってしまった。そこで、ポーランドの意のままにならないダンツィヒ港は不便であり、これに対抗してつくられたのがグディニャの港である。つまり、バルト海に面した充実した港湾都市であるダンツィヒを失ったポーランドが目をつけたのがグディニャの町だった。当時のグディニャは小さな漁村で、今とは比べものにならないくらい小規模な町だったらしい。
しかし、現在では国1番の主要港となっており、グディニャの街の規模もとても大きい。そして、グディニャは近郊のソポト、グダニスクとあわせて「三連都市」(Trójmiasto)と呼ばれ、それら都市間のつながりも強く、ポーランド民主化でのストライキでは、いつもグダニスクと連動していた。

● 小説『蟹の横歩き ―ヴィルヘルム・グストロフ号事件』 ギュンター・グラス著 を読む

グディニャをもうひとつ有名にしている話がある。第二次大戦中、ポーランドがせっかくつくったグディニャ港はドイツに占領され、その期間のみ町は改名され「ゴーテンハーフェン」(ゴート族の港の意)となった。そして、1945年の大戦末期、迫りくるソ連軍に追われたドイツ民間人がドイツ本国に避難する際に脱出港として選んだのがグディニャ港であった。

そのグディニャからの脱出で使われ、避難民を満載した船「ヴィルヘルム・グストロフ号」がソ連の潜水艦に撃沈され、9,400人が犠牲となる大事件が起こる。その沈没時の混乱の描写と物語を興味深く描いたのがギュンター・グラスの小説『蟹の横歩き ヴィルヘルム・グストロフ号事件』。グディニャを訪ねてみたくなるきっかけとなった本だ。

この「ヴィルヘルム・グストロフ号」は乗客約1500名が乗船できる客船で、客室は463室もある。劇場やプールも備えており、豪華客船と言える。発注したのは、歓喜力行団(KdF)と言うナチスが国民に対して福利余暇活動を提供する組織。この組織と幹部のロベルト・ライによって、ドイツ国民に対して船旅であるクルーズが大々的に企画され、労働者に提供された。このような船は「ヴィルヘルム・グストロフ号」以外にも7隻も就航していたらしい。この船を発注した歓喜力行団(KdF)は、ヒトラーの国民車構想で生まれたフォルクスワーゲンの購入制度なども運営し、ナチス政権の人気獲得に大きく貢献していた。

ワイマール体制下、困窮にあえぎ失業者も増大する中、ドイツ人たちにとっては、生活の改善から余暇まで提供されるナチスの福利厚生施策はとても眩いものに見えたのだろう。この辺りの状況は 岩波少年文庫「ぼくたちもそこにいた」 ハンス・ペーター・リヒター著 を読むと、その心情とともよく理解できるし、作中にはこの客船に乗ってノルウェーのフィヨルドクルーズを夢見る一般ドイツ家庭の会話も登場する。

「ヴィルヘルム・グストロフ号」は豪華なクルーズ船にも関わらず船室の等級を廃し、全客室において階級を廃する設計になっている。これも歓喜力行団のロベルト・ライの指示だった。また、船名の「ヴィルヘルム・グストロフ」は当初ヒトラーの名を掲げる予定だったが、ユダヤ人に暗殺されたナチスの高官の名前グストロフに差し替えられた。これもナチスが反ユダヤ・キャンペーンに活用するためであった。

そして、敗戦色濃くソ連軍が迫りくる1945年1月31日、早朝からグストロフ号には9000人以上が乗り込んだ。乗船人数が定かではないほど多くの人数が乗船したものだから時間も要して、昼頃にようやく船は出港。更に、沖では別の船から乗船する人々を数百名も受入れる。そして、再びドイツ本国のキールに向けて出発。護衛艦はたった2隻で、1隻はすぐさま故障で船団を離れた。その日の夜の21時、ソ連海軍の潜水艦の放つ魚雷がヴィルヘルム・グストロフ号に命中、深夜かつ厳寒のバルト海に9000余名が投げ出され、その多くが死亡した。乗船していたほとんどは避難する民間ドイツ人で被害に遭ったのは女性、子供がほとんどだったと言う。

『蟹の横歩き ―ヴィルヘルム・グストロフ号事件』ギュンター・グラス著 では、沈没するグストロフ号から運良く救助された女性の話から始まる。彼女は沈没時に子供を身ごもっており、この時の救助船内で出産をする。その被災者である母トゥラから生まれた息子パウルが物語の語り手だ。そして、物語はグストロフ号の生き残りの母トゥラと息子のパウル、そしてパウルの子供であり、トゥラの孫にあたるコニーの3世代にわたる話として展開する。

物語が辛辣なのは、息子のコニーが高校生にして極右思想にかぶれてしまっていること、更には三世代の間柄で母トゥラから孫にあたるコニーへの思想の影響が描かれることにある。つまり、トゥラは息子のパウルを飛び越え、孫のコニーにグストロフ号の惨劇と合わせて当時の体験を伝え、それが孫の持つ極右思想に大きく影響を与えるのだ。どうにも救われない話であり、祖母から孫へと奇妙にも恐ろしい思想の受け継がれる様がひたひたと描かれる。

しかも、トゥラ自身はナチスの信奉者ではなく、ただ当時の世相に巻き込まれていった1人のドイツ人にすぎない。更にはグストロフ号の被害者としての悲惨な境遇を知られていないジレンマを抱えた人物として悲劇的にも扱われている。歴史に翻弄され、トゥラに降りかかった大事件はドイツの戦後の雰囲気から、話題にするのもタブーとされてしまっている。このことによる疎外感が一般ドイツ人女性のトゥラから感じられるのだ。語り手であり、自らの母と息子の間に位置する主人公パウルの心中というのは推し量るのも難しいほどだ。

グストロフ号事件はドイツだけの悲劇であって、戦中のナチスドイツの犯した残虐行為の数々から話題にされることは少なかったらしい。散々酷いことをした侵略者たるドイツが自国の悲劇を語るな、ということである。そして、この話題を持ち出すような非常識な輩は、コニーのようなナチス賛美のネオナチくらいなのがドイツの世相なのだそうだ。

『蟹の横歩き ―ヴィルヘルム・グストロフ号事件』は親子間の対話の妙もあいまって、読み応えのあるスリリングな小説であった。この小説の訳者である 池内 紀さんの『消えた国 追われた人々』は、このグディニャを含めた東プロイセン巡りのよいガイドブックであるので、こちらもお薦めである。このエッセイ集には『蟹の横歩き』や作家のギュンター・グラスにも触れているので、そちらから読み始めてもよい。

こんな読書背景からグディニャを訪れたが、今やポーランドとなったこの地には、どの博物館にもグストロフ号についての記述はなかった。

具体的な各博物館の詳細はコチラから↓
グダニスク近郊 ガイド 1 グディニャ / バルト海の三連都市 グディニャ、ソポトとギュンター・グラスの小説『蟹の横歩き ヴィルヘルム・グストロフ号事件』 を読む
https://jtaniguchi.com/gdansk-gdynia-sopot/


施設の満足度

4.5

利用した際の同行者:
一人旅
観光の所要時間:
1日
アクセス:
3.0
コストパフォーマンス:
4.5
人混みの少なさ:
4.5
展示内容:
4.5

クチコミ投稿日:2021/04/05

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