セピア色の思い出:ロンドンを象徴し、英国史を語る、人気のロンドン塔を見物
- 5.0
- 旅行時期:1978/08(約47年前)
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by jijidarumaさん(男性)
ロンドン クチコミ:8件
<1978年夏の休暇・イギリス旅行>
1978年8月5日(土)~19日(土)の15日間
8月5日、ドイツ・デュッセルドルフを出発し、この夏の休暇旅行は初めて、イギリス旅行をした。その旅の第一の目的はScotlandスコットランドのエディンバラ城で行われるEdinburghエディンバラの祭り・「Military Tattooミリタリー・タトゥー」を見に行くことだった。
ロンドン観光は初めてで、ロンドン4泊5日の間、観光書に載っている主だった所を見て回った。
<Tower of Londonロンドン塔見物>
8月7日9時10分出発、午前中はロンドン塔に行く(駐車料£0.85)。
ロンドン観光の2日目のメインであるロンドン塔は首都ロンドンを流れるテームズ川畔(全長346km)に面して立つ、見た目には小規模に見える中世の城塞である。
世界遺産登録は1988年なので、私共が見物した10年後になる。
予想以上にロンドン塔は人気が高いようで、観光客が多いのに驚いた。
とりあえず見物前に城壁前で家内と長女を撮った。それからまずは入場券購入(4人分が£4)と、なかなか進まぬ長い列に並んだ。
漸く、敷地内に入り、周辺の木組みの家(Tudor styleチューダー様式と思われる)が気に入り、家内と娘たちの写真を撮る。これらがロンドン塔最初の写真だ。
ロンドン塔の入口は娘たちに愛想よく日本語で今日は、サヨナラと話しかけてくれたBeefeaterビーフィーター(牛食い)が衛兵として守っている。彼は胸に赤い王冠が刺繍され、紺色の地に赤い線の入った制帽・制服を身にまとっている。彼は正式には「The Yeomen Wardersヨーマン・ウォーダーズ(通称Beefeaterビーフィーター:牛食い)」と呼ばれる。彼らの歴史は15世紀、国王の命により国民義勇軍の役割として、国王の財産の守護やロンドン塔に収監される囚人たちの監視役などを務めていた。
また、現役の英陸軍の近衛兵も警護に当たる。
丁度、この近衛兵たちの交代式にも出会った。熊毛の高々とした黒い帽子をかぶり、赤の上衣、紺のズボンという格好はなかなか良い。
陰惨とも思われるロンドン塔の歴史は11世紀に遡る、1066年に即位したWilliam Iウィリアム1世(1027年~1087年:ノルマン王朝初代・征服王と称される)が、ロンドンを守るための要塞の建設を命じたことに始まった。
1241年、中世のロンドン城塞にノルマンスタイルの天守閣(32m)にあたる最初の塔が完成した。
その後、歴代の王によって増改築が繰り返され、最初の塔は5階建てで「White Towerホワイト・タワー」と呼ばれるようになり、「ロンドン塔」は塔や館、St John's Chapel聖ジョンズ礼拝堂(1080年ロマネスク様式)などが建ち並ぶ城塞全体を指す名前となった。
ロンドン塔は正式には「女王陛下のロンドン塔の宮殿および要塞と呼ばれ、現在も儀礼的な武器などの保管庫、礼拝所などとして使用されている。
中でも世界最大級のダイヤモンド「アフリカの星」がはめ込まれた王笏をはじめ豪華な宝物を展示する「ジュエル・ハウス」(入場料£1.4)が見所だ。
<Waterloo Blockウォータールー館:Jewel Houseジュエル・ハウス(宝物館)>
特筆されるのは宝物館で保管されている世界最大級のカット・ダイヤモンド「The Cullinanカリナン」である。1905年に南アフリカのカリナン鉱山で発見されたダイヤモンド原石は3106カラット(621.2g)もあり、鉱山の所有者サー・トーマス・カリナンの名前で命名された。
この原石から9つの大きな石と96個の小さな石が切り出された。9つの石にはそれぞれカリナンIからIXの名が与えられ、全てイギリス王室若しくは王族個人が所有している。
それらは宝物館で展示されていたのだが、実は内部が撮影禁止で、写真はないから、もう記憶に残っていない。
<Royal Armouriesロイヤル・アーマリーズ(国立武器防具博物館)>
イギリス最古の博物館ロイヤル・アーマリーズはイギリスの国立武器防具博物館である。世界的に見ても最も古い博物館の一つである。また、銃火器、武器防具、火砲で構成されたコレクションは世界でも最大規模とされている。
<ロンドン塔には、英国の歴史が垣間見える>
最後に居住した王はステュアート王朝のJames Iジェームズ1世(1566年~1625年)とされる。
1282年からは、身分の高い政治犯を収監、処刑する監獄としても使用されはじめ、14世紀以降は、政敵や反逆者を処刑する死刑場となり、城塞や王宮というよりも、これらの方で有名となった。
1471年:ヘンリー6世、ランカスター朝最後の王。
1536年:アン・ブーリン、ヘンリー8世の2番目の王妃。
1540年:トマス・クロムウェル、ヘンリー8世を支えた宰相。
1542年:キャサリン・ハワード、ヘンリー8世の5番目の王妃。
1554年:*レディ・ジェーン・グレイジェーン・グレイ、ヘンリー7世の曾孫。
1601年:エセックス伯ロバート・デヴルー、エリザベス1世の寵臣。
*ここにはイングランド史上初の女王(テューダー王朝第4代)異名に「九日間の女王」というLady Jane Greyレディ・ジェーン・グレイ(1537年~1554年)が収監されていた。
数奇な縁で女王として即位したが、在位わずか九日間で女王Mary Iメアリー1世(1516年~1558年、血まみれのメアリーと呼ばれた)により廃位され、その7か月後に大逆罪で斬首刑に処された。この事もあって女王と呼ばれていないが、現英国王室は公式に歴代君主の一人に数えていると云う。
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尚、ナチス副総統・親衛隊大将Rudolf Hessルドルフ・ヘスも収監されていた。
ヘスは1941年5月10日午後6時10分、ヒトラーには事後承諾のつもりで、対英和平交渉を結ぶべくドイツからMesserschmittメッサーシュミット Bf110で飛来し、イギリス時間午後8時30分頃、スコットランドのグラスゴー郊外の農場に不時着した。ヘスは右足首を捻挫したものの無事であった。捕虜となり、1941年から1944年まで勾留され、最後のロンドン塔の収監者となった。
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- 施設の満足度
-
5.0
- 利用した際の同行者:
- 家族旅行
- 観光の所要時間:
- 半日
- アクセス:
- 4.5
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 4.5
クチコミ投稿日:2020/10/15
いいね!:6票
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