バウハウス活動の変遷-校長-所在地-教育形態-を知ってから見学したい本校舎
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- 旅行時期:2014/06(約12年前)
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by ごーふぁーさん(非公開)
デッサウ クチコミ:3件
● バウハウス デッサウ校へ
デッサウという町は、東ドイツ時代の香りがかなり残っている印象をもった。町中でも古い共産圏時代の単調な建物がいまだに多く、ドレスデンやライプツィヒのような再開発の工事や重機もあまり見かけない。そして、休日も平日も町は静かな様子である。
● バウハウス活動の変遷、校長-所在地-教育形態
バウハウスの歴史における所在地と校長の変遷を押さえておくことは重要だ。所在地と校長によって活動の方向性が大きく異なるからだ。
実はグロピウスの後を継いだマイヤー校長の時代になって初めて、バウハウスには建築学科ができる。グロピウス校長時代はグロピウスの個人事務所で設計がなされ、それをバウハウスの学生が手伝っていた。つまり、バウハウスが体系だって建築を教えるようになったのはデッサウに移ってしばらくした後、マイヤー校長時代になってからだった。その為、デッサウの校舎や隣接するマイスターハウスはグロピウスの個人事務所にて設計が進められたものである。
≪バウハウスの所在地と校長の変遷≫
期間 校名と所在地 校長名
1919年〜1925年 国立バウハウス・ワイマール ヴァルター・グロピウス
1925年〜1928年 市立バウハウス・デッサウ ヴァルター・グロピウス
1928年〜1930年 市立バウハウス・デッサウ ハンネス・マイヤー
1930年〜1932年 市立バウハウス・デッサウ ミース・ファン・デル・ローエ
1932年〜1933年 私立バウハウス・ベルリン ミース・ファン・デル・ローエ
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- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- 観光の所要時間:
- 半日
- アクセス:
- 3.5
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 展示内容:
- 5.0
クチコミ投稿日:2020/03/01
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