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ストラスブール市歴史博物館 施設情報・クチコミに戻る

ドイツからもフランスからも信頼されなかったアルザス・ロレーヌ住民の歴史

  • 5.0
  • 旅行時期:2017/11(約8年前)
kirstiNorgeさん

by kirstiNorgeさん(非公開)

ストラスブール クチコミ:6件

1.私の訪問前のアルザス・ロレーヌ地方ついての知識
世界史の教科書の近代史中、ドイツとフランスの間で争いがあったことしか知らない。
妻は、「最後の授業」の事しか知らない。
2.訪問の契機はバーゼルからストラスブールへ行く車内で
同行者とは別の席にいた時、私より若い老人から話かけられた。日本に行ったことから日本人だと知って、親しみを覚えたようである。
いろいろと私から質問した。内容は、ドイツとフランスとの間の支配の変遷と今現在アルザス・ロレーヌの学校は何語、ドイツ語かフランス語のいずれか又は両者で教育しているのか。
ドイツとフランスとの間の支配の変遷については、5回と言っていた。博物館に行くとわかるが、実際は、スウェーデンの支配下にあったこともある。
アルザス・ロレーヌの学校は何語、ドイツ語かフランス語のいずれか又は両者で教育しているのかについては明確な回答を得られなかった。
ではもう少し、アルザス・ロレーヌの歴史について、知りたいと思い、ストラスブールに歴史博物館があるかと尋ねたところあるとの回答であったので、急遽、ストラスブール歴史博物館を調べて訪問したものである。
3.MMPARK FRANCE
以下のサイトに詳細有り。
http://www.mmpark.fr/index.php?p=sussex
いつもの事であるが、訪問地に戦争、兵器などの博物館がある場合は、必ず訪問することにしている。
戦車などの兵器の展示以外には以下の展示あり。
a 諜報活動
PLAN SUSSEXという名称のイギリスMI6を中心とする、占領下フランスにおける諜報活動に関しての展示である。
当然、仏独両国語に堪能なアルザス地方の住民も参加している。抵抗運動に参加して、処刑された住民についての詳細な記述がある。
b 住民の抵抗
第二次大戦ドイツ占領下ではアルザス地方の住民はドイツ軍に召集されている。
召集された住民がサボタージュして処刑された記述がある。
c 解放
自由フランス軍がアルザス地方を如何に解放したか詳細に記述してある。
コルマールを駅からクリスマス市の方向にあるいていた際に、解放した自由フランス軍の将軍の名前を付けた通りがあった。
4.ストラスブール歴史博物館
ローマ時代から第二次世界大戦中戦後まで説明あり。
都市国家自治都市として繁栄していた。興味深かったのはユダヤ人差別である。ユダヤ人は都市国家の時代は金融業に従事し、昼間だけは都市の中に入ることが許され、夕方には都市の外に出ることを強制された。
ひどい差別に怒ったユダヤ人が井戸に毒を入れて、市民を大量に毒殺したはずであるが、その旨の記述とユダヤ人の処刑の様子については、気が付かなかったか、展示がなかった。
ストラスブールはカソリックとプロテスタントの境界にある町ではないかと思う。ドイツはプロテスタント、フランスはカソリックである。そのため宗教戦争と国家間の争いに巻き込まれやすい位置にあるのではないか。
プロテスタントのグスタフ2世アドルフ (スウェーデン王)がここストラスブールを占領したことがあると見て驚いた。グスタフアドルフと宰相アクセル・オクセンシェルナについては、ストックホルムの博物館に詳細な展示があり、見たことがある。
第一次世界大戦中ドイツ支配下にある時は、アルザスの市民は召集され東部戦線へ派遣された。アルザスのすぐ近くに、第一次世界大戦中の激戦地があるがここ西部戦線には派遣されていない。アルザスの住民はドイツからは信頼されてなかった。
第二次世界大戦開始前、フランスはドイツ国境沿いにマジノ線と呼ぶ、対ドイツ侵入阻止の要塞群を作った。ストラスブールの近くにもこの要塞跡があり、見学が可能である。この要塞を作る際には、周辺アルザス住民を強制的にフランス西南部へ移住させた。
アルザスの住民はフランスからも信頼されてなかった。強制的に移住させられた住民がアルザスに戻れたのは、フランスが降伏し、ドイツがアルザスを占領した後である。その際の展示がある。故郷から追いやったのはフランスであり、故郷に戻してくれたのはナチスドイツである。
ストラスブールをドイツ占領下より、解放したのはルクレール将軍との写真と説明がある。パリを解放したのもルクレール将軍である。軍事的にそれほど重要ではない、ストラスブールを自由フランス軍によって解放されたという形式をとったのは、首都パリと同様にストラスブールはドイツとフランスと争いあった地であるため、フランスが解放したという政治的な理由であったと思われる。英軍を主体とする連合軍はライン川下流で、米軍を主体とする連合軍はラインが中流でそれぞれライン川を渡河している。ライン川上流にあるストラスブールの占領が軍事的に意味があったとは思えない。
最後に疑問が残った。ストラスブールがドイツに占領されていた際には、ストラスブール市民はある程度協力的であったり、ナチスの支持者になった者もいただろう。では連合軍により、ストラスブールが解放された後、ナチスに協力であった者の運命はどうなったであろうか。ドイツに逃れたのかそれともストラスブールにとどまったのであろうか。

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
家族旅行
観光の所要時間:
半日
アクセス:
5.0
コストパフォーマンス:
5.0
人混みの少なさ:
5.0
展示内容:
5.0

クチコミ投稿日:2017/12/18

いいね!:1

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