1937年第二次上海事変の戦場になった場所、水路と橋が残るのみ。
- 3.0
- 旅行時期:2014/06(約10年前)
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by 中国の風景さん(男性)
上海 クチコミ:1241件
1932年第一次上海事変及び1937年第二次上海事変の戦場になったのは日本租界の北西部でした。四川北路と東江湾路の角。日本居留民保護を名目に違法駐留した日本海軍特別陸戦隊司令部の駐屯場所。虹口公園(魯迅公園)は射撃練習場となりました。中山北路から同心路を西へ進むと水電路の交差点に第二次上海事変の戦場となった八字橋に出ます。八字橋を挟んで日本軍と国民党軍が一進一退の戦いをして遂に日本軍は上海を守ったのでした。しかし多くの兵士を失い、宝山路、宝興路付近まで焼土と化し、多くの住民は家を失いました。日本海軍特別陸戦隊司令部の建物は1945年8月日本投降後、国民党政府が接収。1949年上海開放後人民解放軍接収使用。現在も人民解放軍の関連施設として四川北路に残っています。
文物 八字橋遺址 跨愉渓浦, 東連水電路、西接柳営路
歴ガ 八字橋 同心路橋 第二次上海事変 水電路
百度 上海事変で焼土と化した場 宝山路・宝興路・東宝興路駅
歴ガ 天通庵車站 第一次上海事変 宝山路x天通庵路
歴ガ 天通庵 松下電業電池工場 天通庵路x華昌路近
文物 淞?鉄路天通庵站遺址 天通庵路、同心路、宝山路接壤処
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- 虹口足球場駅から歩いて15分。
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 2.0
- 戦場を推測できるものはありません。
クチコミ投稿日:2015/10/12
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