共同租界の楊樹浦路は黄浦江の水運を利用して近代工業発祥の地となり、日本の綿紡績工場が出来た。
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- 旅行時期:2015/07(約11年前)
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by 中国の風景さん(男性)
上海 クチコミ:1241件
清の同冶二年(1863年)、租界の外にある楊樹浦路に工場が建ち始めた。黄浦江に面して水運交通の便が良く、低価格の労働力が豊富などの理由で中国国内、外国の資本が集まり工場が動き出した。広い土地に綿紡績、造船、造紙、発電、自来水等の工場が出来た。19世紀末から20世紀中期まで最も工場が集中した地域となった。1937年には楊樹浦路一帯には300余の各工場があり、多くの労働者も集まった。その中でも日本の綿紡績工場は目だった存在でした。近年中国に多種の日本企業の工場が進出したが、すでに租界時代に工場進出(在華紡)をしていました。英、中国等の綿紡工場も吸収して上海の綿紡績を独占してしまいました。“やりすぎ”は何時の世も嫌われ労働争議も多かったようです。内外、豊田(トヨタ自動車の前身)鐘紡、東洋紡等の日本の紡績会社です。黄浦江工業碼頭区は上海近代工業化に大きく貢献した。世界大戦終了時日本の工場は撤退して長らく楊樹浦路一帯は寂れていましたが、2010年の万博前頃から再開発が始まり、古い住宅を取り壊し、高層住宅や大きなショッピングモールが出来始めました。現在、楊樹浦路一帯はいたるところで再開発工事が進められていますが、在華紡の社宅には今尚、多くの住民が住んでいます。上海市政府はこれらを上海優秀歴史建築に認定し、保存、改修
して行く方針です。第五次上海優秀歴史建築が発表となり、早速、改修を始めた現場も見られました。租界時代の工場地域だった楊樹浦路一帯は数年後には高層ビルが連なる高級住宅街・1000万人都市に変身するでしょう。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- 観光の所要時間:
- 1日
- アクセス:
- 4.0
- 地下鉄12号線大連駅から愛国駅
- 景観:
- 4.0
- 租界時代の建物が残っています。
クチコミ投稿日:2015/09/28
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