南宋の幼帝逃亡の地
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- 旅行時期:2013/05(約13年前)
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by bluejaysさん(男性)
香港 クチコミ:3件
1276年、元が南宋に侵攻し、首都臨安を陥落させ、恭帝を捕虜にした。南宋はここに滅亡したとされる。だが重臣たちは恭帝の兄弟端宗と衛王を擁して南方に逃れ、亡命政権を樹立した。宋王台は、二人の幼君が逃亡中に休息をとった場所と伝えられている。
だが端宗が幼くして病死し、南宋亡命政権は1279年、崖山の戦いで元に敗れた。衛王は陸秀夫に抱かれ入水し、ここに南宋の血筋は完全に絶えた。
宋王台の碑は、もとは啓徳空港にあった。第二次大戦中に日本軍が啓徳空港拡張のため宋王台を破壊し、石碑だけが残された。石碑は現在、宋王台花園に移されている。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
- アクセス:
- 2.5
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 5.0
クチコミ投稿日:2015/03/02
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