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デンマーク ユダヤ博物館 施設情報・クチコミに戻る

ナチスの迫害から多数のユダヤ人を助けたデンマーク人 特別展「戦争中のユダヤ人」

  • 5.0
  • 旅行時期:2014/07(約10年前)
kirstiNorgeさん

by kirstiNorgeさん(非公開)

コペンハーゲン クチコミ:10件

A 訪問の経緯
武器博物館へ行く途中に発見

B 博物館までの交通機関
市内中央駅から徒歩

C 展示内容と第二次世界大戦とユダヤ人 スカジナビア三国の比較
ノルウェーの場合
1940年4月9日にドイツがノルウェー攻撃、1940年6月10日ノルウェー降伏 以降ナチスの占領下 ノルウェー居住のユダヤ人のほとんどは、ドイツゲシュタポにより、強制収容所送りとなり、多数が死亡。

デンマークの場合
1940年4月9日にドイツがデンマーク攻撃 即日降伏 以降一定の範囲内で自治を許される。デンマークは1943年10月頃までの間はユダヤ人はノルウェーのように強制収容所に送られることはなかったが、1943年10月以降ゲシュタポがデンマーク領内のユダヤ人を強制収用所送りにする計画があることがリークされ、
デンマーク国内にいた25000人以上のユダヤ人はスウェーデンに海路脱出した。

スウェーデンの場合
第二次世界大戦中は中立を宣言したが、ドイツ軍のスウェーデン領内通過に協力した。また、ドイツ側と見なされていたフィンランドへ義勇軍を派遣するなど、中立といえどもドイツに協力的であった。但し、デンマークから亡命してきたユダヤ人を戦後まで保護してきた。

第二次世界大戦直後のスカジナビア三国の関係
ノルウェーは大戦中にドイツに協力的であったスウェーデンを非難。ノルウェー王室とスウェーデン王室の相互訪問停止。
デンマークはユダヤ人の保護を行ったスウェーデンに好意的。デンマークは戦後主力戦闘機はスウェーデン製採用。


D 参考文献と参考意見
友人の意見、軍事博物館とレジスタンス博物館及び以下の文献を参考にしている。
ウィンストン チャーチル著毎日新聞翻訳委員会 「第二次大戦回顧録」
捲き起る嵐 第二編たそがれ戦争(下)
第十二章 海上の激突
第十三章ナルヴィク
第十四章トロントハイム
第十五章ノルウェーにおける失敗
第十六章ノルウェー最終段階

E 北欧諸国と第一世界大戦及び第二次世界大戦

1.北欧諸国の分類
旅の途中でスカンジナビア国の人に、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、アイスランド、フィンランド、ラトビア、エストニア、リトアニアの国々は
どのように分類されるのか聞くと
A Nordic Coutries
B Scandinavian Coutries
C Baltic Coutries
の三種類の分類を聞かされる。
A にはデンマーク、ノルウェー、スウェーデン、アイスランド、フィンランド
B にはデンマーク、ノルウェー、スウェーデン、
C にはラトビア、エストニア、エストニア
が定説のようである。

2.第一次大戦と北欧諸国
デンマーク、ノルウェー、スウェーデンは中立を宣言し、戦禍を免れた。
フィンランド、ラトビア、エストニア、リトアニアはロシア革命に乗じてロシアから独立を果たした。
但し、ノルウェーの西部の諸港の漁船又は商船はドイツUボートにより沈没させられた例が多く存在し、強い反独感情を抱くようになっている。
第一次大戦後の北欧諸国の軍備
生産国は主としてドイツ、イギリス、小型の水雷艇は自国生産である。従って。ドイツ製の大砲及び航空機などが現在も保存されている。

3.第二次大戦と北欧諸国
デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、アイスランド、フィンランドは中立を宣言した。
フィンランドはソビエト連邦がフィンランドとの不可侵条約の破棄を宣言し、侵攻を開始した。
1940年、コペンハーゲンで三国外相会議が設けられ、厳正中立の申し合わせと対フィンランド援軍派遣の拒絶が決定され、北欧中立ブロックはあっさりと崩壊してしまうこととなった。
フィンランドとソ連の戦力差は明らかで、ソ連の圧倒的優位で戦争は進められたが、イギリスとフランスが大規模な援軍派遣を検討していることが表沙汰となるとソ連は態度を軟化させ、
フィンランドとの和平交渉に乗り出した。1940年3月12日、カレリア地方およびフィンランド湾諸島の割譲などがなどが盛り込まれたモスクワ講和条約を締結した。
バルト諸国占領などによってソ連の勢いが増したことに脅威を感じていたフィンランドはドイツとの関係を深めることで払拭を試みたが、
バルバロッサ作戦を皮切りとして継続戦争が開始されると周辺諸国に枢軸国側として認知され、北欧で完全に孤立することとなった。

4.ノルウェーのドイツにとっての戦略的価値
ドイツへの鉄鉱石の供給
スウェーデン Kiru na ノルウェー Narvic間の鉄道輸送 Narvicから鉱石運搬船により、ドイツへ。
北海へのUボート、ドイツ艦隊の北海出撃基地 船舶の補修基地
ノルウェーからは北海へ容易に出撃でき、北海はイギリスの重要な食料武器を供給する護送船団の航路となっている。この航路破壊の目的でノルウェーに海軍基地を作る。

5.ノルウェー、デンマーク及びスウェーデンの厳正な中立維持
ノルウェーはノルウェー領海内を航行する非武装の商船には航行を妨害しない。領海に武装した艦船の進入があった場合は排除する。
このことがノルウェー回廊と呼ばれるナルビックからドイツ本土へのドイツ鉄鉱石運搬船の安全な航路を確保していた。
デンマークは1939年にドイツの間に国境不可侵条約を結び、中立を維持しようとしていた。
スウェーデンは中立を宣言し、フィンランドがソ連にによって侵略された際、イギリスがスウェーデン領内を通過して、フィンランドを通過させることを拒否していた。

6.デンマークのドイツにとっての戦略的価値
ユトランド半島のAARBORGを除き戦略的な価値はない。AARBORGはイギリスへの空からの攻撃又は防御及び北大西洋の空からの通商破壊のための空軍基地を設置することに価値がある。


7.ドイツ軍のノルウェーとデンマークへ侵攻
1940年4月9日未明ドイツ軍はノルウェーへは海と空から、デンマークへは空と海と陸から侵攻を開始した。
ノルウェーは1940年6月7日までにノルウェー国王と政府はイギリスに脱出し、亡命政府を樹立する。同年6月10日ノルウェー軍は降伏する。
デンマークはドイツと国境を接しているためドイツ軍は陸から、一部は海からコペンハーゲンに上陸。AARBORGには空挺部隊により占領した。
デンマークはノルウェーと異なり、ドイツとは平坦な平野で陸続き、ノルウェーは高い山深い雪により防ぐことが可能、ノルウェーは主要な都市はフィヨルドの奥にあり砲台、魚雷艇などにより防衛が可能。
ノルウェーは首都オスロを守る砲台、魚雷艇の活躍により、オスロへの侵攻を遅らせ、ノルウェー国王と政府が陸路と海路、ノルウェー北部への脱出行を可能にした。
デンマークは宣戦を布告することなく、ドイツ軍に占領され、一定の範囲内での自治を行う許される。
デンマークはサボタージュ又はストライキ等でドイツの占領に抵抗し続けたためにドイツはデンマーク政府の自治を制限し、占領を強化し、戒厳令を施行しようとした。
デンマーク政府は秘密裏に、ドイツ軍にデンマーク艦艇が利用されないように、1943年8月29日各艦艇が自沈又は当時中立国のスウェーデンに脱出するように指示した。この結果多数の海軍艦艇が自沈した。

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
一人旅
観光の所要時間:
1-2時間
アクセス:
5.0
コストパフォーマンス:
5.0
人混みの少なさ:
5.0
展示内容:
5.0

クチコミ投稿日:2014/09/14

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