(桃園)相撲場跡、大渓神社跡をたずねて
- 3.0
- 旅行時期:2010/12(約15年前)
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by 熱帯魚さん(女性)
桃園 クチコミ:31件
大渓公園に、日本統治時代の相撲場跡と大渓神社跡があると聞いて、行ってきました。
大渓公園は1909(明治39)年に建てられた公園です。当時の大渓街は支庁の行政所在地であり、日本政府の理番の重要な拠点でもありました。日本政府による「各都市に公園をひとつ建てるべき」との考えから、この地に公園を建て「相撲場」「忠魂牌」「大渓神社」などが設けられました。総面積は約4400坪。大渓人によって設計されたこの公園は、台湾の形に設計されています。戦後、国民政府の支配下になると、「忠魂牌」及び「大渓神社」は取り壊され、「大渓公園」は「大渓中正公園」と改名されました。
現在、大渓公園には週末ともなると、大道芸人たちや地元の人が集まってきます。あちこちから歌声が聞こえてきて、なかなかにぎやかでした。今も残る相撲場跡、大渓神社跡は、その中でもひっそりとたたずんでいたのが印象的でした。特に大渓神社跡は、その建物自体は取り壊されていて、神道と狛犬と神社の土台のみが残されています。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- 景観:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2013/05/23
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