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釜山近代歴史館 施設情報・クチコミに戻る

釜山の街の発展と、日本統治時代・解放後のアメリカとの関係がわかります

  • 4.0
  • 旅行時期:2012/05(約12年前)
sportcrossさん

by sportcrossさん(非公開)

釜山 クチコミ:26件

*釜山近代歴史館*
http://japmuseum.busan.go.kr/

こちらは入場無料。
日本語のパンフレットや、日本語ガイドさんによる説明も受けられます。

この博物館は名前のとおり、釜山の近代歴史を伝えるところ。
建物は、日本の植民地時代の1929年に
「東洋拓殖株式会社釜山支店」として建てられたものです。

「東洋拓殖株式会社」とは、
日本政府が大東亜共栄圏内の植民地支配のためにつくられた会社。
金融や不動産などが主な事業で、
植民地内の土地を地主から安く購入し、
日本政府による政策(農業・工業・鉄道・電気)を推進したそうです。

第二次世界大戦後は、アメリカの海外広報の拠点である
「釜山美文化院」として使われたのですが、
1980年代以降の韓国民主化で、米軍基地返還要求とともに、
この建物も市民運動により返還を求められることになりました。
結果、1999年にようやく韓国政府に返還。

「外国からの収奪・侵略の歴史」を歩んできた建物であることから、
釜山の悲惨な歴史を伝える資料館建設の計画がおこり、
この博物館が誕生したそうです。

館内にはそういった、
日帝植民地時代や第二次世界大戦後のアメリカとの関係等が
資料や模型等で説明されていました。
釜山という名前の由来は、
釜をひっくり返したような山々の地形から来ているそうです。

このあたりはもともと東菜(トンネ)という内陸部に
中心地があったそうですが、
1867年の日朝修好条規(不平等条約)により、
日本に対して、朝鮮は開港することになった。
その1つがこの釜山で、
以降、港周辺には日本人街が形成されていきます。

さらに植民地化後は、港湾整備がなされ、
海沿いに主要官庁や商業施設等が建設され、
瞬く間に中心地が移動してしまったそうです。

その他、
日帝植民地時代の釜山中心部の街並みも再現されていました。

こういう歴史教育は大切ですね。
日本でももっとするべきだと思うのですが、
できているかなーと不安になりました。



施設の満足度

4.0

アクセス:
3.0
コストパフォーマンス:
5.0
人混みの少なさ:
4.0
展示内容:
4.0

クチコミ投稿日:2012/07/27

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