ゲシュタポ、親衛隊、国家保安本部跡
- 5.0
- 旅行時期:2008/04(約17年前)
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by meacoさん(女性)
ベルリン クチコミ:1件
「トポグラフィー・オブ・テラー」を直訳すると、「恐怖の地誌」となるのでしょうが、要するにナチス時代のゲシュタポ・SS・国家保安本部(ヒムラー傘下の組織ですね)の跡地です。この場所が面する通りの名前は、現在は「ニーダーキルヒナー・シュトラーセ(Niederkirchnerstrasse)」といいますが、当時は「プリンツ・アルブレヒト・シュトラーセ」といいました。通りの名前を言えばすなわち、ゲシュタポ本部のことをさしていたようです。
その「ニーダーキルヒナー・シュトラーセ」に沿って、親衛隊の歴史がパネル展示されています。(パネルはドイツ語と英語だったように思います。)親衛隊の歴史は、イコールナチスの歴史でもあります。展示ではナチスが政権をとってから、ポーランドに侵攻し、独ソ戦が始まり、武装親衛隊が東ヨーロッパでユダヤ人を虐殺し、そして敗戦を迎えるまでを、圧倒的なボリュームで説明しています。
地下1階に位置する展示施設を見終わって、外を見ると、地上にはベルリンの壁が残っています。つまり、1989年まで通りの向こう側は「東側」だったわけです。(実際には、壁の両側の何十メートルずつが中間地帯で、壁には近づけなかったはずですが。)
この東西に伸びるニーダーキルヒナー・シュトラーセから、南北に交差するヴィルヘルマー・シュトラーセ(Willhelmerstrasse)に入り、そのまま北上すると、ウンター・デン・リンデンに出ます。ここまでが1945年までのベルリンの中央官庁街、日本でたとえれば霞ヶ関に相当します。パネルには当時の官庁街の地図も展示されています。興味のある方は、ベルリンの壁跡を当時の地図の上に重ねてみてください。いかにベルリンの壁が、「霞ヶ関」を分断するかのように建設されていたかがわかります。この線引きを見ると、連合国は(というより某国かな)、ナチスの過去との断絶という名目のもとで、地理的一体感を破壊することで、ドイツを半永久的に立ち直らせないという意図があったのではないかと、つい感じてしまうのです。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 展示内容:
- 5.0
クチコミ投稿日:2012/05/28
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