アデレードからのスチュアート・ハイウェイが、クーバー・ピディに入る少し手前に小さな記念碑が建っていました。「オパール発見記...
続きを読む念碑=ハッチンソン記念碑(Hutchinson Monument)」です。ここは1915年2月1日に、ウィリアム・ハッチンソン(通称ウィル)が最初のオパールを発見した場所とのことです。ウィルはこの時14歳で、父親のジェームスが率いる小人数の金鉱脈探索チームの1員だったということです。ウィルが父親に命じられて、飲み水を探していたところ小さな泉を見つけ、そこでオパールを発見したそうです。この碑の周りに撒かれた小石は白い色をしていて、オパール特有の輝きを感じさせました。もっとも、白い石はオパールとしてはまったく価値のない石で、単なる屑オパールだそうですね。
その当時はオパールの価値がそれ程なかったそうで、泉の発見には喜びはしても、ハッチンソン一家もオパールで生計を立てることは考えもしなかったそうです。その5年後、可哀想なことに、ウィルは牛をクィーンズランド州へ運んでいる時、途中の川で水浴中に溺れ死んでしまっとのことです。クーバー・ピディのメイン通り名に、ハッチンソン通り(Hutchinson St.)としてその名を残しています。
現在、クーバー・ピディのオパールは採掘権を購入して採掘しますが、何とウィルの発見から8日後には最初のオパール採掘権が認めらたのだそうです。第1次世界大戦からの帰還兵を労働力として建設していた大陸縦断鉄道(アデレードからアリス・スプリングまで)が、1917年に主な建設部分が完成してしまうと、仕事のなくなった彼らの多くがオパールを求めこの地にやってきて、一大ブームを起こしたとのことです。なお、オーストラリアは現在世界に流通するオパールの3/4を産出しています。その内の70%は南オーストラリア州とのことです。クーバー・ピディは1970年代に大規模な機械化が導入された同州のミンタビー(Mintabie)に抜かれるまでは、世界最大のオパール産出量を誇ったとのことです。
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投稿日:2023/07/11