太平洋戦争時(1942-1943年)、日本軍ビルマ戦線の補給ルート確保のため、タイ・ビルマ国境間で建設された泰緬連結鉄道。...
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河川や渓谷を含む自然環境、戦況が厳しくなる中での突貫工事で、動員された連合国の捕虜とアジア人労働者の約10万人が亡くなったそうです。
映画やクワイ川マーチで知られ、現在では観光地としても名高いタイ側。
一方、戦争犯罪とも言われる捕虜虐待事件の主な現場であったとされるビルマ側。
ここはそんなビルマ側の起点となった場所に、2016年に建てられた新しい博物館です。
博物館の門の前にはお土産屋さんやジューススタンドなどが出ていました。
門をくぐると、アジア人労務者が使役されている人形の展示があります。
展示の前のプレートには『One Life One Sleeper』の文字が。
中に入ったところに記帳台が置かれ、壁にはタコ部屋労働の様子が描かれていました。
階段の横には大きくアウンサン将軍の絵が掲げられ、二階は全て写真や物品の資料館になっています。
飢餓状態の捕虜や強制労働の労務者の姿、駐留地の日本軍や、建設中の様子がわかる写真、
ルートマップや軍刀などの展示が多数有りました。
少しは気を抜く要素も必要だと思ったのでしょうか、一階の"崖上の線路に乗れるトリックアート"に意外な気持ちになりました。
出口近くのショップでは、オリジナルのTシャツやキーホルダーと、英語とミャンマー語で書かれた小冊子が購入できます。
建物を出ると公園になっており、鉄道の主力だったC56形蒸気機関車の展示車両がありました。
現地の若い娘さん達が次々と笑顔で撮影に興じていたのが印象的でした。
当時の線路を伝って少し先に起点の碑が立っています。
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投稿日:2020/12/23