西部越界築区域
史跡・遺跡
3.17
施設情報
クチコミ(2件)
1~2件(全2件中)
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1920年代から1930年代にかけて先進的な住宅街が形成されました。
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- 旅行時期:2016/01(約10年前)
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共同租界の外に勝手に租界を拡大していました。
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- 旅行時期:2015/07(約11年前)
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上海の西部越界築地域(租界の外の租界)とは東洋一の大都市になって共同租界内に収まりきれなくなった人口を吸収する為、租界の外... 続きを読むに進出しました。
1930年代における上海越界築路地域租界消滅以前の上海における越界築路とは、租界側が租界の範囲外においてまず公園を造り、公園に行く道を造ります。道路一帯の地域には外国人が居住します。住宅が出来ると水道や電気や電話といった公共サービスが租界側から提供されます。そして外国人を守る為租界側警察の管理下に置かれて警察官が配置されます。「租界の外の租界」と言うべき存在であって、こうした地域の存在は、租界とそれに付随する各種権利を、本来の租界の外に対してなし崩し的に拡大するものであり、中国側からは主権の侵害と受け止められる問題でありました。共同租界の西端の静安寺付近から中山公園までの愚園路が代表的な西部越界築路で沿線に多くの上海優秀歴史建築が残っています。 閉じる投稿日:2015/08/12
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