Osloのレジスタンス活動 Movie "The Heroes of Telemark" "Operation Swall...
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1.ノルウェーのResistance Museum
ノルウェーには町と同じ数だけResistance Museumがあると言われている。その理由は、細長いスカジンナビア半島の北はNarvicから南はKristiansund 東はOSLO,Horten,Drobak西はStavanger,Bergenに対して、ドイツの攻撃と占領が行われ、それぞれの地域毎にドイツの攻撃に対して独自に戦い、占領後当初は地域間の連携なくして地域毎にレジスタンス活動を行い、武器の調達などを行ってきた。従って地域毎にドイツの攻撃に対して、どのように戦ったか、ドイツ占領後はどのようなレジスタンス活動を行ったか、地理的条件によりどのようにどこから武器を調達したのか、特色がある。ノルウェーにおいてはResistanceの資料は夫々の地域において、武器博物館、航空機博物館、陸軍博物館、ユダヤ人博物館又は歴史博物館に展示されている。
2.OsloのResistance Museumの特徴
NS(Nasjonal Samling)、ノルウェーナチス党、及びNS党首のVidkun Quislingについて詳しく説明されている。Quislingの伝記も博物館で販売されていた。Quislingの1940年4月9日ノルウェー国民にドイツへの抵抗を停止することを訴えるラジオ放送の録音を聞くことができる。1940年4月ドイツ占領に対しての政府機関の混乱と抵抗を説明している。Gestapoの組織図とレジスタンスへの弾圧、処刑について詳しく説明している。
3.ノルウェーの戦い 1940年4月
このノルウェーのレジスタンス活動を理解するためには、ドイツは何故、どのようにノルウェーを攻撃したのかを理解するとノルウェーのレジスタンス活動を理解しやすい。
1940年4月のドイツの攻撃がどのようであったのかを理解するには、Resistance Museumの近くの陸軍博物館を訪問することを推奨する。ここでは、1940年4月のドイツのノルウェーへの攻撃がどのように行われたのか展示されている。同時に特別展として“The Long Journey”“Den Lengste Reisen(1940-1945)”ノルウェー王家一家のノルウェー脱出から帰国までを展示している。
3.Oslo防衛の要、Oscarsborgの戦い 1940年4月
Oslo近郊のOslo fjord西岸、Hortenには海軍基地があり、ここの海軍博物館では、ノルウェー海軍が1940年4月ドイツ海軍の攻撃に対して如何に戦ったのか展示されている。
ノルウェーの戦いにおいてドイツの犯した重要な誤りは、ノルウェー国王とその家族を捕らえることに失敗し、イギリスに亡命させ、ノルウェー臨時政府をロンドンに設立させたことである。
この結果、ドイツがノルウェーに設立した傀儡政権は正統性を欠くこととなり、ノルウェーにおけるレジスタンス活動を活発化させている。
Oslo fjord の最も狭くなる地点にOscarsborg砲台があり、この砲台はOscarsborgの東側対岸のDrobak砲台とともに1940年4月オスロの占領を目指してOslo fjordを北に進むドイツ海軍艦艇を攻撃し、ドイツ海軍重巡洋艦を沈没させ、ドイツ軍によるオスロ占領を1日遅らせた。この1日がノルウェー国王とその政府にドイツ軍から逃げる時間的余裕を与えた。Oscarsborgには砲台と水面下の魚雷発射管が展示されているので訪問を推奨する。
4.ノルウェーレジスタンス活動の映画化
映画テレマークの要塞( "The Heroes of Telemark")及び"Operation Swallow: The Battle for Heavy Water"として、原子爆弾の重要な原料である重水製造工場を破壊した連合軍とノルウェーレジスタンスの活動を描いている。原作者の "Knut Haukelid" はノルウェーレジスタンスのメンバーである。第二次世界大戦前から第二次世界大戦後ノルウェーのレジスタンス活動に関心がある私にとって、当時の有名な人々、当時の事実などをボード、写真、地図、ジオラマなどによって時間を追って説明してあり、英語の説明でありわかりやすかった。
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投稿日:2014/10/05