エジプト文明からミケーネ文明、ギリシャへ中継ぎした、紀元前18世紀当時世界最高水準といわれたクレタ文明。紀元前1400年ご...
続きを読むろ突然滅ぶ。
2011年12月16日(金) 前日アテネ市街は20度。アテネより南に位置するがすぐ海なので20度弱か。晴れ。
クレタ島イラクリオンのオールドハーバー側にあるバスステーションAのチケット売り場で「クノッソス!」というと、「往復一人3ユーロ! すぐそこから出るー」と。
クノッソス行き近郊路線バスで、途中エレフテリアス広場など停車しながら30分、終点・クノッソス宮殿跡北入り口で降りる。
冬(午後3時閉館)で、入り口チケット売り場近辺には全く観光客は見えない。バスを終点で降りたのは我々だけであった。11時なのにガイド詰所には誰もいない。考古学博物館との共通券10ユーロ。
入り口に、1900年発掘し、神話を実在の宮殿と証明したイギリスの考古学者アーサー・エバンスの胸像がある。
クレタ文明は紀元前3000年頃に始まり、紀元前18〜15世紀に当時の世界最高水準の文明だったとされている。
しかし、サントリー二島大噴火津波で突然滅んだといわれ、また木材の大量伐採による自然環境の破壊が文明そのものの衰退化を招き、紀元前1400年ごろにギリシャ本土ミュケナイのアカイア人がクレタ島に侵入、略奪されミノア文明は崩壊したとも言われているが、エジプト文明からミケーネ文明〜ギリシャ文明へと繋ぐ重要な役割を果たしたと考えられている。
と考えていたら、ここでなんとなく、若いころ読んだ梅棹忠夫の「文明の生態史観」を想い出した。
3700年前ミノス王が建てたとされている宮殿は一辺160メートル、一部4階建て部屋数1200以上。
北の入り口から入り、
写真の王座の間(玉座背後の壁に描かれている一対のグリフォンは女性を守る図で描かれることが多いことからこの玉座に座って宗教的、もしくは世俗的な行為を行ったのが女性であった可能性が高いとされている。)、
奉納庫(陶製の蛇を持つ女神像や線文字Aが刻まれた粘土板が出土していることからは祭祀と行政が一致していた時代であるとされている。)
正面玄関入り口、
女王の間、
大階段、
東の要塞
など、反時計回りに一周できる。
巨大な倉庫を備えていたことから、宮殿が支配領域内の物資を集積して再分配する機能を持っていたと考えられている。
この後さらに進化し、アテネのコインが地中海沿岸の都市民族を超えた共通通貨となって、神殿には金銀財宝が蓄えられることなり、ホモサピエンスは、個人、富裕、貧乏、永久の概念を痛切に知ることとなり、人間の悲劇、哲学が生まれることとなる。
複製ではあるが、色彩豊かで躍動感あふれるフレスコ画「パリジェンヌ」「牛の上のアクロバット」「青い鳥」などを各所でガラス越しに見ることができる。
課外授業の小学生や観光客数人とすれ違う。休んでいたら、ガイドが出勤してきたようで、どうだいと声をかけられたのは2分の1を回った中庭だった。
入り口にあるカフェ(なんとも明るいおばさん達がいる。)で、カフェオレ、カプチーノ、アイスクリーム(全部で8.5ユーロ)で休んでいたら、隣席に引率の先生達4人が陣取り、そのうちの一人が私に微笑みかけながらカメラを持ち出し同僚の先生達に自慢している。見るとキャノンEOS5DMARK?。
バスでエレステリアス広場まで戻り、その隣の考古学博物館(アテネ国立考古学博物館にはギリシャ全土から集められているが、唯一クレタ島出土品が無く、ここにある。従って、ギリシャ内にある、考古学上重要な出土品全部を見るにはこの2ヶ所の考古学博物館に足を運ぶ必要がある。)へ入る。
一部リノベーション中とあって、公開しているのは1階1部屋のみだったが、上記フレスコ画のオリジナルなどガイドブックで見慣れたものは見ることができた。2012年完全オープン予定。
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投稿日:2013/04/05