ヴァルトブルク城 Wartburg Castle
城・宮殿
3.38
クチコミ 2ページ目(26件)
21~25件(全26件中)
-
世界遺産
- 4.0
- 旅行時期:2010/08(約16年前)
- 0
-
大バッハが生まれた街にして、ヴァルトブルク城の麓
- 4.0
- 旅行時期:2010/03(約16年前)
- 4
-
真冬は覚悟を!
- 4.0
- 旅行時期:2010/02(約16年前)
- 0
ワルトブルク城のアクセスはあまりいいものではありません。駅から遠く、バスやタクシーでのアクセスをお勧めいします。
私たち... 続きを読むはホステルから直接タクシーで行きました。というのも、歩いて30分程度とのことでしたが、冬は雪に覆われていてそれ以上時間がかかると言われたからです。
急勾配な坂道を上がり、タクシーは城のすぐそばまで上がることができず、観光バスが乗り入れているところまでしか上がれない、と言われました。そこからは雪道をザックザック歩いて登ることになりました。
冬季は開館時間も短いので、注意が必要かと思います。
中の様子は撮影可能の場所もあり、ルターがラテン語からドイツ語に聖書を翻訳した、有名なルターシュトゥーベも最後に見ることができます。 閉じる投稿日:2012/09/16
-
-
中世の城です。
- 5.0
- 旅行時期:2009/07(約17年前)
- 0
-
アイゼナハ・ヴァルトブルグ城にはドイツの歴史が詰まっている。
- 4.5
- 旅行時期:2001/05(約25年前)
- 6
ドイツ16年ぶりの再訪
( 2001年5月3日-5月14日 :12日間 )
*ゲーテ街道・ドレスデン・マイセン・古城街... 続きを読む道を巡る旅*
使用レンタカー:Volvo S80 2400CC Diesel Automatic
5・05(土) 曇り後雨、肌寒し 59km
Eisenachアイゼナッハの町(人口4万5千人)に至る。このドイツ文化の源流とも言われる町の観光はまずWartburgヴァルトブルグ城である。山上の城までボルボは軽快に上がる。狭い山道は山間をぐるぐる回るような感じで上がって行く。城の真下に設けられた駐車場に導かれて停める.
ヴァルトブルグ城内に入ると1階にRittersaal騎士の間がある。十字に木組みされた丸天井、石造りの部屋は12世紀以来の中世の雰囲気で、質素な空間だ。
次はSpeisesaal食事の間が続き、領主と領主婦人が日常使用したもの。漆黒の樫の木の太い梁が目立つ天井、中央には古びた暖炉がある。石造りの回廊を通り、次の間に。そこは元来、騎士の間と対に作られたものという。
Elisabeth-Kemenate聖女エリザベートの間は天井や壁がモザイク(ガラス製1902-6)で彩られ、見事な美しさを今に残している。部屋の壁面をぐるりと飾るモザイクは聖女の一生を描いていると云う。(尚、聖女エリザベートの奇跡の伝説が残る)2階への階段を上がると、そこには城の礼拝堂があった。13世紀の壁画(キリストの6人の使者像)がかろうじて残っている。
この階にはElisabeth-Galerie聖女エリザベートの回廊がある。6つの大きなフラスコ画が回廊を埋めていて、その一代記を表現している。
①4歳の時にヴァルトブルグ城に到着した場面
②バラの奇跡③十字軍遠征に参加する夫との別れ
④夫の戦死後、城を追われるエリザベート
⑤Marburgで死の床に伏す
⑥死後4年で聖女に列せられたエリザベートを顕彰し、聖体を担ぐセレモニー・列聖式のシーン。(1236年以後Marburgに壮大な聖エリザベート教会が建設される。)
リヒャルト・ワーグナーの歌劇 “タンホイザー” の舞台としてこの城は有名である。その昔、有名な詩人、歌人などがヨーロッパ各地より参集し、文化の中心ともなったという。吟遊詩人(Minnesaengerミンネジンガー:12世紀の頃、最盛となった。主に宮廷をめぐり、中世の騎士的恋愛が主題の詩を吟じた。宮廷恋愛歌人とも訳す)達が美しい歌声で、テューリンゲン伯の前で、死を賭して歌合戦を繰り広げた大広間はSaengersaalジンガーザール・歌手の間と呼ばれている。(1206年)壁面には“タンホイザー”の歌合戦のシーンがフレスコ画で描かれている。
次はLandgrafenzimmer方伯の間で、領主が政務を行った場所。その権力を誇示するライオン(方伯の紋章になった)などの強い動物が壁に描かれている。また、方伯の伝説から、築城の伝説など7つの欄間壁画が見られる。3階への階段を上ると大きな広間に出た。
Festsaal祝典の間がそれである。長方形の大広間にはシャンデリアがさがり、木彫りの装飾も美しく飾られ、正面には鷲の紋章が威厳を示している。大広間は近年、コンサート等に利用しているようで、何百の椅子が整然と並んでいた。
ここには二つの話がある。
一つは“メルヘン王” ルードヴィッヒ二世バイエルン王がここを真似た広間を新白鳥城に作ったと云う。
二つには1817年10月18日、ドイツ学生同盟(1815年)の学生たち凡そ500名が参集し、ヴァルトブルグ集会を催したこと。
テーマは1813年ライプチッヒの戦いに勝利したことの祝いであり、ルター宗教改革300年を記念したもの。この集会で宣言されたのはドイツ連邦成立への民族統一、民主主義の基本権の確立であり、当時のドイツ地域での市民階級(中間層)が始めて大衆行動を起こしたという歴史的なものだった。
その際に使用された学生同盟旗は後年、ドイツの国旗の“黒・赤・黄”の三色旗の基となったそうだ。
(*ライプチッヒの戦い:諸国民戦争とも言い、1813年10月プロイセン、オーストリア、ロシアの同盟軍がこの地で、ナポレオン軍に大勝し、ナポレオンの退位の契機になった。)
ここでガイドは終了し、階段を下りて、ゲーテが提唱して作られた博物館に。
聖物、デューラーの書棚、クラナハの作品などの展示あり。博物館横のお土産ショップ。その後、梁がむき出しになった、狭く、頭がぶつかりそうな通路をルターの小部屋に向かう。真に古城の趣むきたっぷりな木造の渡り廊下である。
Lutherstubeルターの小部屋は質素な、木張りの部屋であった。帝国追放例を受けていたルターがザクセン侯の守護の下で、この部屋で誰にも分かるように易しい言葉で、ギリシャ語の新約聖書をドイツ語に翻訳した。(1521~22年の凡そ10ヶ月の短い間に翻訳した。;旧約聖書はこの後、Coburgコーブルク城でドイツ語訳を完成。)ルターは聖書を万人のものとした。‐‐‐歴史的なことを成し遂げたわけだ。
ゲーテもワイマールの大臣となって、アイゼナッハには20回近く訪れたという。城の補修・保存を命じたというが、これもルターの弟子を自任していたゲーテだからだと・・・。
XXX 閉じる投稿日:2017/03/24
21件目~25件目を表示(全26件中)
- 1
- 2