2018年ドイツの春:フランケン地方・オーバープファルツ地方の旅
2018年5月10日(木)~5月24日(木)15日間
5月20日(日): 晴後曇り、 22℃、 83km
⑪⑫2018年5月20日(日)、5月21日(月)~5月22日(火)2泊
Burg Colmberg古城ホテル コルムベルク城
D-91598 Colmberg 、An der Burgenstrasse
TEL: 49(0)9803 9 19 20 、FAX:49(0)9803 2 62
http://www.burg-colmberg.de/
3星・全26室。4階の部屋はrustikales (素朴な)Doppelzimmer mit Whirlwanne(ジャクジーバス付)、Euro169X2=338(朝食込み:45,120円)。水、浴用ガウン無し。
この部屋は*「Schoene Else佳人エルゼ」(後述)の名が付いたもので、2009年に泊まった「Burgherr城主」の部屋(パンフレットに掲載)の隣室になります。
*Elisabeth von Bayern-Landshut 、Kurfuerstin von Brandenburgエリザベート・バイエルン・ランツフート、ブランデンブルク選帝侯妃エリザベート
エリザベート・バイエルン・ランツフート(1383年ランツフート~1442年11月13日 アンスバッハ)はバイエルン・ランツフート公爵家の公女。
初代のブランデンブルク選帝侯フリードリヒ1世の妻で、その美貌で知られ、「Schoene Else佳人エルゼ」と謳われた。
エリザベートはバイエルン公フリードリヒとその2番目の妻マッダレーナ・ヴィスコンティの間の長女として、ランツフートのBurg Trausnitzトラウスニッツ城で生まれた。
1401年9月18日、Friedrich VI Burggraf Nuernbergニュルンベルク城伯フリードリヒ6世(1371年~1440年)と結婚した。
夫のフリードリヒ6世は、1415年にKurfuerst Friedrich I. von Brandenburgブランデンブルク選帝侯フリードリヒ1世に昇格したため、妻のエリザベートもKurfuerstin von Brandenburgブランデンブルク選帝侯妃となった。
当時のブランデンブルク選帝侯はブランデンブルク・アンスバッハ辺境伯や、ブランデンブルク・クルムバッハ辺境伯をも兼ねた。(コルムベルク城も同じ年の1415年にブランデンブルク選帝侯フリードリヒ1世によって購入された)
夫君がイタリアやハンガリーへの軍事遠征や、コンスタンツ公会議(1414年から1418年にかけて、ドイツのコンスタンツで開催されたカトリック教会の公会議。3人の対立教皇を廃し、一人の正統なローマ教皇を立てることで教会大分裂を終結させた)への出席と、長期にわたって領内を不在にしていたため、代わりに妻のエリザベートがその賢明さ、有能さで領内の深刻な諸問題に対処した。
1440年に夫君の選帝侯フリードリヒ1世が死去した後、エリザベートはコルムベルク城を”未亡人の城”として、自身が亡くなるまでの2年間居住したと云う。
ドイツでも見事な古城ホテルに2泊したが、私共も格の高い、良い部屋を提供されたことになったようだ。
(なお、城の歴史などは省略した)
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