大阪市天王寺区夕陽丘町にある家隆塚(伝藤原家隆墓) - ミナミ(難波・天王寺) のクチコミ
大阪市天王寺区夕陽丘町にある家隆塚(伝藤原家隆墓)
- さすらいおじさんさん
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- 旅行時期 : 2011/09(約15年前)
藤原 家隆(ふじわら の いえたか、1158?1237年)は、鎌倉時代初期の歌人で『新古今和歌集』の撰者の一人。
1237年、79歳で出家し摂津国四天王寺に入り、夕陽丘より見える「ちぬの海(大阪湾)」に沈む夕日を好み、その彼方にある極楽へいくことを望んだ。現在の大阪市天王寺区夕陽丘町に家隆塚(伝藤原家隆墓)がある。
和歌を藤原俊成に学び『六百番歌合』『正治百首』などに参加して同時代の藤原定家と並び称される歌人と評価された。
後鳥羽上皇の和歌の師であったといわれ、後鳥羽院が承久の乱で隠岐に流された後も、遠所から和歌を送ったりしており、生涯に詠んだ歌は六万首もあったと言われている。
アクセスーーー地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘」駅5番出口から徒歩5分
- アクセス :
- 4.0
- 地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘」駅5番出口から徒歩5分
- 人混みの少なさ :
- 4.0
- 見ごたえ :
- 3.5
- バリアフリー :
- 2.5
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