意外や意外!電信の技術は、黒船で有名な「ペリー提督」が日本に持ち込んだそうです。
- 3.0
- 旅行時期:2024/09(約1年前)
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by Lily-junjunさん(男性)
銀座・有楽町・日比谷 クチコミ:4件
「検査業務開始の地」へのアクセスは、JR「新橋駅」の銀座口を出て、横断歩道を渡り左方向に進むと、すぐに「都道405号」(外堀通り)になります。右折し「都道405号」(外堀通り)を450mほど道なりに進むと、三つつ目の信号(表示名「蓬莱橋」)があります。交差点には「蓬莱橋歩道橋」と「銀座八丁目歩道橋」の二つの歩道橋が架かっています。横断歩道を渡り「銀座八丁目歩道橋」を上がり、道路の反対側に降ります。「湾岸通り」沿いに150mほど進むと「銀座郵便局」の窓口入口の手前に「検査業務開始の地」の碑があります。
「検査業務開始の地」の碑に刻まれた説明文によると、「明治9年(1876年)6月17日に、この地に工部省電信寮の碍子試験所が発足して電信用碍子の電気試験がおこなわれた。これが我が国における近代的物品購入検査の始まりである。」と書かれていました。要は、外国から輸入された通信器材である「碍子」などを検査する目的で工部省電信寮の碍子試験所を発足させたということでしょうか。そう言えば、東京と横浜間で電信が行われたのは、明治2年(1869年)だったと思います。これから推測すると、送信網構築に欠かせない「碍子」の検査を行った場所ということですね。ちょっと気になったのでネットで調べてみると、明治の初めは、日本でも輸入品の「ガラス碍子」を用いて電信網を少しずつ広げていったそうです。その後、「碍子」の歴史的転換期となったのが、明治3年(1870年)に佐賀の「八代深川栄左衛門」が日本伝統の技術を活用して「陶器製の碍子」を製造し始めま、これが電信網の普及に大いに貢献したそうです。ちなみに、「碍子」は、電線とその支持物とのあいだを絶縁するために用いる器具のことです。鉄塔、電車の架線、変圧器などに必ず付いている部品であり一般的には白のそろばん状の物で、材質はセラミックスがほとんどです。セラミックス製は、絶縁性、耐候性、強度が優れています。「碍子」は、絶縁性、耐候性、強度に優れているために変電所、電車の架線など強い電流が流れてきても耐えうる力を持っています。できればもう少し詳しい説明文があればよかったと思いました。
01_【「検査業務開始の地」の一口メモ】
⑴ 所在地…〒104-0061 東京都中央区銀座8丁目20
02_【「検査業務開始の地」へのアクセス】
⑴ JR「新橋駅」銀座口から徒歩11分700mほど
⑵ 東京メトロ銀座線「新橋駅」1番出口徒歩9分550mほど
⑶ 都営地下鉄浅草線「新橋駅」A3出口から徒歩9分550mほど
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- JR「新橋駅」銀座口から徒歩11分700mほど
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 私以外誰もいませんでした。
- 見ごたえ:
- 3.0
- 石碑に碑文が刻まれているだけです。
クチコミ投稿日:2024/10/03
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