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富里市に「末廣農場(旧岩崎久彌三菱財閥3代目総帥の別邸)」がある。

  • 4.0
  • 旅行時期:2023/04(約1年前)
jijidarumaさん

by jijidarumaさん(男性)

八街・富里 クチコミ:1件

【富里市にはかつてこの地に存在した「末廣(すえひろ)農場(旧岩崎久彌(ひさや):三菱財閥3代目総帥の末廣農場別邸)」がある。】

「Stadすたっと」という北総エリアのタウン誌に「旧岩崎久彌末廣農場別邸公園」の「百年ツツジ」の事が掲載されていた。
「百年ツツジ」はともかくも、三菱財閥3代目総帥であった岩崎久彌氏の旧別邸とか農場に興味を感じた。

<末廣農場の誕生:牧から森、そして農場へ>
明治3年(1870年)、かつて徳川幕府の直轄牧(まき:飼育や繁殖のため牛や馬を放牧しておくための区域)であった富里の地は、明治政府によって開墾地として利用されることとなる。

明治8年(1875年)、時の内務卿大久保利通の主導の下、「下総牧羊場(のちの下総御料牧場)」が開設されたことから、開墾地は政府に買い戻され、「獅子穴区(ししあなく)」と称されるようになり、経営の合理化から再び払下げの対象地となった。
様々な経緯の後、三菱の岩崎彌之助氏に依頼して、購入してもらった。
これによって343町歩(およそ340ヘクタール)という広大な土地が、牧畜を目的として岩崎家の所有となった。

末廣農場の門内に入ると、右手にあるのが満開の「百年ツツジ」で、奥に見えているのが東屋だろう。
樹木も結構伐採して切り株も多い、暗かった森も明るくしたようだ。
数寄屋造りの東屋は建坪が約15坪だそうだ。近くで作業中の方もいて、遠慮して東屋の中は拝見していない。

【富里市:末廣農場と旧岩崎家末廣別邸】
末廣農場 | 富里市観光・交流拠点施設 (suehiro-gs.com)

住所:千葉県富里市七栄650番地206
Tel:0476-93-1200
休館日:毎週月曜日(ただし、祝祭日は開館)・5月22日~6月26日までの月曜日は臨時営業いたします。年末年始(12月30日~1月2日)
営業時間:午前9時~午後6時  カフェレストラン営業時間 午前9時~午後5時30分 (お食事時間 午前11時~午後3時)

<旧岩崎久彌末廣農場別邸公園>
10時00分から16時00分(最終入園15時30分)


末廣農場別邸公園:「百年ツツジ」

末廣(すえひろ)別邸は岩崎久彌(ひさや)氏が末廣農場の経営のため滞在用に建てた、主屋・東屋・石蔵、その他の付属屋からなる近代和風の「農場別荘」であり、昭和初期における上流階級の別邸としての貴重な遺構として高い歴史的価値を持っている。

「末廣農場」は、三菱の3代目の社長であった「岩崎久彌」氏が自ら経営を行った牧場でしたが、第二次世界大戦後にGHQによる財閥解体、農地改革もあってか、末廣牧場はなくなっていく結果となった。

広大な農場の敷地のうち119ヘクタールを、当時の富里村に譲渡(現富里市役所、富里中学校敷地など)し、198ヘクタールについては農場従業員の帰農者に払下げが行われた。養鶏と養豚の施設部分約40ヘクタールについては千葉県に譲渡され、千葉県畜産試験場となった。
ところが、昭和30年代後半に至って計画された成田空港建設のためとして、千葉県は空港用地買い上げ農家の代替地として千葉県畜産試験場の土地を提供することとなった。
この為、末廣農場関係の施設は別邸とその周辺の土地だけになった。

こうして岩崎久彌氏が愛情を注いだ末廣農場は歴史の表舞台から姿を消し、その業績は跡形もなく消え去った。
久彌氏は東京の本邸を物納し、昭和24年(1949年)6月21日に末廣農場別邸に移り住んだ。
当時を偲ばせる岩崎家末廣別邸は幸いにも、壊されることなく現在まで大切に保全されてきた。

公園入口から散策路が出来ていた。公園南側、奥の方には農場が広がり、数人の男女が農作業中である。

岩崎家別邸の母屋前に来ると、旧別邸の看板が立っていて、そこに平面図があり、見てみると、中庭をもつ広大な規模の木造平屋の建物である。
岩崎別邸は大正時代末から昭和初期にかけて「末廣(すえひろ)農場」の中に建てられた。別邸と呼んでいるのは、富里市で初の国登録有形文化財になった「旧岩崎家末廣(すえひろ)別邸」の母屋(おもや)=主屋(しゅおく)・東屋(あずまや)・石蔵(いしぐら)などを指している。

岩崎別邸は平成24年(2012年)、これまで維持管理をしてきた三菱地所株式会社より、末永く大切にして欲しいとの申し出があり、富里市に寄附された。
富里市は寄附後直ちに、歴史的価値が非常に高いことから、国登録文化財への申請を行い、平成25年(2013年)12月24日に正式に国登録有形文化財となった。

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公園駐車場の出入り口から、道路を渡り、向かいの末廣農場の観光・交流拠点施設に行く。各地の「道の駅」の様な形式の末廣農場は、観光・交流拠点施設になっているので、観光情報コーナー、軽食レストランや岩崎家ゆかり(小岩井農場)お土産、地元農産物の直売所があり、当然のように末廣農場のオーナーだった岩崎久彌氏の看板もある。

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日本で最も強力だった三菱財閥の3代目が、農業に勤しみ、当時は富里という「辺地」に農場まで持ったと云う事にたいへん驚いたものだ。
それにしても、戦後から現在までの管理者、所有者であった(多分)三菱地所が、長い歴史と経緯のある「旧岩崎家末廣農場別邸」の地を、富里市に寄附された事は嬉しく、良い話である。

さて、末廣農場で購入したベコニアの苗は大変質が良く、元気に育っている。
又買い出しに行きたいと思っている。

(2023年5月20日Wiki・HP参考、編集・追記)


施設の満足度

4.0

利用した際の同行者:
カップル・夫婦(シニア)
アクセス:
3.0

クチコミ投稿日:2024/05/18

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