伊能忠敬の日本地図編纂のための起点となったのが高輪の大木戸です。
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- 旅行時期:2024/01(約2年前)
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by Lily-junjunさん(男性)
品川 クチコミ:3件
江戸時代は町ごとに「町木戸」を設け、自身番において警固させました。高輪の「大木戸」は、江戸の治安維持のため、宝永7年(1710年)に東海道の両側に石垣を築き、設置されました。各町にある「町木戸」に対し、江戸全体を守る木戸であることから、「大木戸」と呼ばれ、旅人やその送迎客でにぎわいました。旅人が旅装を整えたり、送り迎えされるのも高輪の「大木戸」まででした。高輪の「大木戸」の木戸の幅は約10mあり、初めは柵門が設置されて、明六ツ、暮六ツに開閉していましたが、後に廃止されました。現在は国道15号線(第一京浜国道)沿いに東側の石垣だけが残されています。「伊能忠敬」は正確な日本地図を作るため、「高輪大木戸」を起点として測量を初め、17年間かけ自分で考案した測量車を押して全国を歩きました。「伊能忠敬」は寛政12年(1800年)4月19日55歳で亡くなりましたが、その3年後に、弟子たちの手によって完成し幕府に献上されました。この地図を国外に持ち出そうとして発覚し、国外追放となったのが「シーボルト」です。
01_【「高輪大木戸跡」の一口メモ】
所在地…〒108-0074 東京都港区高輪2丁目19
02_【「高輪大木戸跡」へのアクセス】
⑴ 電車を利用する場合
① 都営浅草線「泉岳寺駅」A4出口から徒歩1分約55m
② JR山手線「高輪ゲートウェイ駅」から徒歩7分550m
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 都営浅草線「泉岳寺駅」A4出口から徒歩1分約55m
クチコミ投稿日:2024/02/09
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