青山学院の源流となっている海岸女学校は明治の女子教育に多大な足跡を残しました。
- 3.0
- 旅行時期:2024/01(約5ヶ月前)
-
by Lily-junjunさん(男性)
築地 クチコミ:25件
「青山学院記念の地碑(旧海岸女学校跡)」へのアクセスは、東京メトロ有楽町線「新富町駅」の6番出口を出て、そのまま進行方向に350mほど直進します。途中から側道沿いをあるくと信号(表示名「佃大橋」)がありますので、その横断歩道を渡り右折し50mほど進むと歩道の右手の植え込みの中に「青山学院記念の地碑(旧海岸女学校跡)」があります。
「青山学院」は、多くの源流を持ちますが、いずれも米国メソジスト監督教会の宣教師たちが設立した3つの学校が統合してできたものです。まず、明治7年(1874年)に、麻布新堀町に「ドーラ・E・スクーンメーカー」が「女子小学校」という学校を設立します。「ドーラ・E・スクーンメーカー」はわずか23歳で、アメリカで教師をしていましたが、志願して派遣されました。翌明治8年(1875年)には、芝に移って「救世学校」と校名を改称しました。さらに、明治10年(1877年)に築地居留地明石町10番地に移転し、「海岸女学校」と校名を改称します。それが「青山学院記念の地碑(旧海岸女学校跡)」のある場所です。「青山学院記念の地碑(旧海岸女学校跡)」は、平成20年(2008年)に建立されました。
01_【「青山学院記念の地碑(旧海岸女学校跡)」の一口メモ】
所在地…〒104-0044 東京都中央区明石町6-24
02_【「青山学院記念の地碑(旧海岸女学校跡)」へのアクセス】
⑴ 東京メトロ日比谷線「築地駅」3b出口から徒歩約10分700m
⑵ 東京メトロ有楽町線「新富町駅」6番出口から徒歩約6分400m
- 施設の満足度
-
3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
クチコミ投稿日:2024/02/04
いいね!:0票