静かな山の中にあります。
- 5.0
- 旅行時期:2024/01(約2年前)
-
-
by hijunoさん(非公開)
関ヶ原・垂井 クチコミ:14件
山の中の細い道をのぼり、また歩いてたどり着きました。斜面に大切に祀られたお墓でした。大谷吉継は豊臣秀吉に仕え、また石田三成とも深い友情にあったといわれていますが、
関ヶ原の戦いでは病を押して戦いに参加し、小早川秀秋の寝返りで窮地に陥ります。もともと、小早川の裏切りも予測していたとはいえ、一万5000の兵にたった600の兵と平塚為広などの応援もあり、三度小早川の兵を押し戻し善戦していますが、最期には家臣の湯浅五助の介錯で自害しています。
その後、子のお墓は湯浅家が建てたといわれています。大谷吉継のお墓は五輪塔になっています。首は、甥が持ち帰り、米原に埋葬されたといわれていますが、その後、藤堂高刑に見つかった家臣の湯浅五助は自分の首と引き換えに大谷吉継の首を黙ってほしいと頼み、その後徳川家康から詰問された藤堂高刑はその願いを受け入れて、決して首の行方を語ることはなかったそうです。
関ヶ原の戦いの際にも、石田三成に戦いをやめるように助言したそうですが、聞き入れられませんでした。馬にも乗れないほど弱った病気の身体で輿にのりながら、平塚為広などの協力もありつつ、最期まで戦い続けた大谷吉継。そのお墓の近くには顕彰碑もあります。明治以降の富国強兵で、吉継の義に生きた武士道が崇敬されたようです。
山道で、ぬかるみや滑りやすいところもあるので、歩きやすい靴で行くことをお勧めします。
- 施設の満足度
-
5.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2024/01/11
いいね!:2票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する