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念願の阿修羅像を見ることができました。阿修羅像の端正で、優しい顔立ちがとても印象的でした。

  • 4.5
  • 旅行時期:2023/11(約6ヶ月前)
Lily-junjunさん

by Lily-junjunさん(男性)

奈良市 クチコミ:14件

「春日大社」の参拝を終え、次の目的地は「興福寺」です。「春日大社」の参道を「一之鳥居」まで戻ります。そして、信号を渡り右方向に進み、「国道169号線」沿いを80mほど進むと、最初の信号があります。そこを右折すると「興福寺」の境内になります。「興福寺」は「奈良公園」の一角にあり、「東大寺」や「春日大社」と並んで奈良市を代表する観光名所のひとつです。「古都奈良の文化財」として世界遺産にも登録され、歴史的・文化的な遺産が多く残る寺院です。途中で、かわいらし鹿がいたので、思わず鹿煎餅を買って与えました。参道の左手には、寺院の風呂場として使われていた「興福寺大湯屋」が見えます。「大湯屋」は、奈良時代から設けられていたと考えられていて、「大湯屋」の中には、通常非公開ですが、奈良県指定文化財の「鉄湯釜」があるそうです。右手には、「興福寺」の寺務を執り行う「本坊」が見えます。通常は非公開ですが、「本坊」北西には明治時代に建てられた「大圓堂」と呼ばれる「持仏堂」があり、国の重要文化財である「木造聖観音菩薩立像」があります。少し進むと右手にある「柳茶屋」の先に、「興福寺」を分断する道路があり、横断歩道があります。横断歩道を渡ると道が二手に分かれます。直進すると「南円堂」そして右斜め方向に入ると「国宝館」の案内板があります。
「興福寺」は、現在、「東金堂」、「五重塔」が保存修理のため工事用のフェンスで囲まれ、残念ながら拝観等ができませんでした。しかし、世界遺産に登録されたという理由だけ「興福寺」を訪れたわけではありません。今回の奈良旅行の世界遺産に指定された6つのお寺を拝観することもそうですが、最大の目的は二つあります。一番の優先事項は「唐招提寺」の「鑑真大和上像」の特別公開、それと二番目は「興福寺」の「阿修羅像」を見るためです。そう言う訳で早速「興福寺」の「国宝館」へ入りました。その前に、「興福寺」の歴史と概要を紐解いてみたいと思います。「興福寺」は、法相宗の大本山です。「興福寺」は、京都山科の「藤原鎌足私邸」に建立された「山階寺」が前身となります。「山階寺」は、天智8年(669年)に「藤原鎌足」が重い病気を患った際に、夫人である「鏡女王」が夫の回復を祈願して、釈迦三尊や四天王などの諸仏を安置するために造営したものと伝えられています。そして、天武天皇元年(672年)の壬申の乱後に、飛鳥に都が戻った際に、「山階寺」も移され、その地名を取って「厩坂寺」と名付けられます。さらに、和銅3年(710年)の平城遷都の際に、「藤原不比等」よって現在地に移されるとともに、「興福寺」と名付けられました。その後、天皇や皇后、また藤原氏の手によって次々に堂塔が建てられ整備が進められ、奈良時代には「四大寺」、平安時代には「七大寺」の一つに数えられ、特に摂関家・藤原北家との関係が深かったために手厚く保護され、寺勢はますますさかんになります。特に、藤原氏の氏寺として大いに繁栄し、四町四方に170坊あまりの堂舎が立ち並ぶ寺院として隆盛を極めました。治承4年(1180年)の「平重衡」の南都焼討ちによって焼失した堂塔は、鎌倉時代に復興を遂げますが、その後、享保2年(1717年)の火災によって、伽藍の西半分を失いました。境内には「光明皇后」創建とされ、室町時代に再建された国宝の「五重塔」、鎌倉時代に再建された国宝の「北円堂」や江戸時代に再建された重要文化財の「南円堂」などが建ち並んでいます。そして、「国宝館」には多くの仏教彫刻の名品を所蔵しています。

《「興福寺」のお薦め拝観順路》
①「国宝館」⇒②「中金堂」⇒③「東金堂」⇒④「五重塔」⇒⑤「南円堂」⇒⑥「南円堂」⇒⑦「三重塔」

《国宝館》
まずは、右斜め方向に進み、最大の目的地である「国宝館」に向かいました。「国宝館」は、奈良時代創建当初の僧侶が集団で食事をする「食堂」が建てられていた場所に、「食堂」の外観を復元して、昭和34年(1959年)に鉄筋コンクリート造りの耐火式宝物収蔵庫として建てられました。建物の大きさは正面が35.3m、側面が31.8mで、本瓦葺の建物です。ちなみに、地下には、旧食堂の奈良時代以降の遺構がそのままの形で保存されているそうです。この「国宝館」には、日本に数多ある仏像の中でも、特に人気のあり、天平文化を代表する仏像彫刻のとして国宝にも指定されている「阿修羅像」が収蔵されています。「阿修羅像」は、端正な顔立ちとスタイルで美少年との呼び声も高く、私たち家族もそうですが、この彫刻を目当てに「興福寺」を訪れる観光客も多いそうです。この見応えたっぷりの「国宝館」には、「興福寺」の歴史を伝える仏像彫刻や絵画、歴史資料などが収蔵してあり、そのほとんどが国宝や重要文化財に指定されています。そして、館内には旧食堂の本尊「千手観音菩薩立像」、奈良時代の「阿修羅像」などの「乾漆八部衆像」、「乾漆十大弟子像」、「華原馨」、平安時代の「燈籠」や「板彫十二神将像」、鎌倉時代の「木造金剛力士像」、「木造天燈鬼・龍燈鬼像」などの国宝や、重要文化財の「梵天像・帝釈天像」や厨子入り「弥勒菩薩半跏像」なども安置します。どれもこれも素晴らしいものばかりですが、なかでも「阿修羅像」と以前に上野の東京国立博物館でも公開された「木造天燈鬼・龍燈鬼像」は私の中では一番印象に残り、感銘を受けました。ちなみに、「阿修羅」とは、梵語(古代インド語)の「アスラ」(Asura)で「生命(asu)を与える(ra)者」とされ、また「非(a)天(sura)」にも解釈され、まったく性格の異なる神になります。例えば、ペルシャなどでは大地にめぐみを与える太陽神として信仰されてきましたが、インドでは熱さを招き大地を干上がらせる太陽神として、常にインドラ(帝釈天)と戦う悪の戦闘神になります。しかし、仏教に取り入れられてからは、釈迦を守護する神となったそうです。歴史的価値のある仏像等が所狭しとあり、見ごたえたっぷりの「国宝館」は、毎日9:00から17:00まで観覧できます。
《中金堂》
「国宝館」での鑑賞を終え、出口の駐車所を右方向に進むと正面に「中金堂」、そして、左手に「東金堂」、その向こう側奥には「五重塔」があります。まずは、正面にある「中金堂」です。「勧進所・売店」の隣にある「拝観受付」でチケットを購入して中に入ります。「中金堂」は「興福寺」の伽藍の中心になる最も重要な建物で、平成30年(2018年)に301年ぶりに再建され、復元されました。「中金堂」の大きさは、正面が37.0m、側面が23.0mあり、建築様式は寄棟造、単層裳階付き、本瓦葺になっています。「中金堂」の歴史を紐解いてみると、かつて「中金堂」は、「興福寺」にあった金堂3棟の中心となり、創建当時は、その規模においても奈良にある寺院の中でも大きさを誇るものでした。創建者は日本の律令制度をまとめ、藤原氏の繁栄の基礎を築いた「藤原不比等」です。それ以降、創建より6回の焼失、再建を繰り返しました。そして、享保2年(1717)に焼失した後は財政難のために再建することができませんでした。その100年後に町屋の寄進により規模を縮小した「仮堂」を文政2年(1819年)に再建しましたが、あくまで仮設としての建立であったため、長期使用を想定しておらず、材木には不向きなマツが使われるなどしたため、急速に老朽化が進んでしまいました。度重なる火災を乗り越え平成30年(2018年)に復興された堂内には、御本尊の「丈六釈迦如来像」を中心に、「薬王・薬上菩薩像」が脇侍として祀られています。ちなみに、現在安置されている御本尊の「丈六釈迦如来像」は5代目で、像内墨書から文化8年(1811年)に仏師「赤尾右京」が造立したそうです。また、「木造薬王・薬上菩薩立像」は、兄弟の菩薩で、ともに良薬を人々に与え、心と身の病気をなおしたと言われています。普通、「釈迦如来像」は「文殊菩薩像」と「普賢菩薩像」を従えることが多いのですが、「薬王菩薩像」と「薬上菩薩像」を置くのは古い形だそうです。
《東金堂》
次が、「東金堂」と「五重塔」ですが、現在、「東金堂」、「五重塔」が保存修理のため工事用のフェンスで囲まれ、残念ながら拝観等ができませんでした。仕方なくフェンスのそとから事前に調べていた「東金堂」と「五重塔」の全体像を想像してみました。「東金堂」は、「中金堂」の東側にある「金堂」で、その隣には、「五重塔」が高々とそびえ立っています。「東金堂」は、「聖武天皇」が叔母である「元正太上天皇」の病気平癒を祈念して、神亀3年(726年)に建立したものです。それ以降、5度の被災・再建を繰り返し、現在の建物は室町時代の応永22年(1415年)に再建されました。創建当初には床に緑色のタイルが敷き詰められ、御本尊「薬師如来」の浄瑠璃光の世界が表現されていたそうです。「東金堂」の建築様式は、前面を吹き放しとした寄棟造です。見どころは、堂内には国の重要文化財に指定されている「本尊薬師如来坐像」を中心に、「日光・月光菩薩立像」、「文殊菩薩坐像」、「維摩居士坐像」、「十二神将立像」、「四天王立像」など貴重な文化財がたくさんあります。
《五重塔》
「東金堂」の隣にある「興福寺」の「五重塔」は、天平2年(730年)に「興福寺」の創建者である「藤原不比等」の娘「光明皇后」の発願で建立されました。古都奈良のシンボルといえば、「五重塔」といわれるくらい有名な建築物です。ちなみに、「塔」は釈尊の舎利を納める墓標であり、当時の仏教寺院においては権威の象徴だったそうです。他の堂宇と同様に、その後5回の焼失・再建を経て、現在の塔は応永33年(1426年)頃に再建された約50mもある木造の「五重塔」で、日本で2番目に高い塔です。ちなみに、日本で一番高い「五重塔」は、東寺(教王護国寺)の五重塔で、 高さは約57メートルあり、現存する日本の木造建築物としては最高の高さです。「興福寺」の「五重塔」には、いずれも室町時代作品である「薬師三尊像」、「釈迦三尊像」、「阿弥陀三尊像」、「弥勒三尊像」が一層目のそれぞれ「須弥壇四方」に安置されています。また、青空の下で見る五重塔も堂々として魅力的ですが、ライトアップされた姿も圧巻だそうです。保存・改修工事が終わったら、再度奈良を訪れ、ぜひライトアップされた「五重塔」を見に来たいものですね。
《南円堂》
次が、「五重塔」の塔の反対側に位置している「南円堂」です。途中に「興福寺」の「南大門跡」があり、若干高台になっていて、そこから見下ろす「猿沢池」や古都奈良の街並の風景が絶景でした。「南円堂」は、「藤原冬嗣」が父の「藤原内麻呂」の冥福を願って建立した八角円堂であり、また、「西国三十三所」の「第九番札所」として知られ、の参拝者が多い御堂です。「南円堂」は、朱色が際立つ美しい八角円堂で、弘仁4年(813年)に「藤原冬嗣」が父の「藤原内麻呂」の冥福を祈るため建立しました。また、発掘調査で判明したことですが、基壇築造の際には地神を鎮めるために、「和同開珎」や「隆平永宝」を撒きながら築き上げたそうです。「南円堂」の御本尊である「不空羂索観音菩薩」は、神に仕える鹿の鹿皮を身にまとっています。現在の内陣には、慶派仏師の「康慶」一門により制作された本尊の「不空羂索観音菩薩坐像」を中心に、「四天王立像」、「法相六祖坐像」が安置されています。現在残っている建物は、創建以来4度目のもので、江戸時代の寛政元年(1789年)に再建されたものです。「南円堂」では、年に1度、10月17日に「特別開扉」が行われ、堂内を拝観することができます。また、当日は僧侶たちが経典を宙で広げながら読む「大般若経転読会」という儀式も行われ、たくさんの参拝客で賑わうそうです。
《北円堂》
「南円堂」を右方向に進むと「北円堂」があります。「北円堂」は、「興福寺」の創建者「藤原不比等」の1周忌にあたる養老5年(721年)8月に「元明・元正天皇」が、「長屋王」に命じて建てさせたものです。建物が建っている場所は、「興福寺伽藍」の中では、中心でなく西隅に位置しています。かつては、「北円堂」から平城京を一望の下に見渡すことのできる場所だったそうです。現在の建物は、治承4年(1180年)の被災で焼失し、承元4年(1210年)頃に再建されました。そして、「北円堂」は、日本に現存する八角円堂のうち、最も美しいといわれています。堂内には、御本尊である「弥勒如来坐像」を中心に、「無著・世親菩薩立像」をはじめとして、「木心乾漆四天王立像」などが安置されています。これらはいずれも国宝に指定されています。そして、堂内にあるこれらの像は、春・秋一定期間に特別公開されます。
《三重塔》
最後が、「三重塔」です。「北円堂」の正面反対側にある道を直進すると右手にが「三重塔」あります。「三重塔」は「北円堂」とともに山内で最古の建物とも言われ、高さが約19.1m、初層の幅は約4.8mあります。「三重塔」は「五重塔」に比べるとあまり知られておらず、見逃されがちです。「三重塔」は、康治2年(1143年)に「崇徳天皇」の皇后の「皇嘉門院聖子」が建て、治承4年(1180年)に焼失しましたが、間もなく再建されたといわれています。堂内には、かつて「興福寺」の子院であった「世尊院」の「弁才天坐像」とその「諸尊」(十五童子)を移して安置されています。これらの像は、毎年7月7日の10時から「弁才天供」が行われ、特別開扉されます。
《興福寺五十二段》
余談ですが、この日私たち家族は、「猿沢池」の畔にある「よしだや」に宿泊しましたが、「北円堂」から「三条通」に出て、「よしだや」へ向かいましたが、その途中に「興福寺五十二段」と呼ばれる「五重塔」に続く幅広い石段がありました。菩薩修行の段位五十二位になぞられたものであり、段の上は仏界を意味するといわれているそうです。

01_【「興福寺」の一口メモ】
⑴ 所在地…〒630-8213 奈良市登大路町48 電話:0742-22-7755
⑵ 拝観時間…9:00~17:00(入堂・入館は16:45まで)
⑶ 休業日…年中無休
⑷ 拝観料
 ※ 「東金堂」は現在保存・改修のため拝観できません。(2023/11/23現在)
① 東金堂単独券…大人・大学生300円、高校生・中学生200円、小学生100円
② 国宝館単独券…大人・大学生700円、高校生・中学生600円、小学生300円
③ 国宝館・東金堂共通券…大人・大学生900円、高校生・中学生700円、小学生350円
④ 中金堂 単独券…大人・大学生500円、中高生300円、小学生100円

02_【「興福寺」へのアクセス】
⑴ 電車を利用して
近鉄線「奈良駅」2番出口から徒歩5分350m
⑵ 奈良交通バスを利用して
① [JR奈良駅)] ⇒[市内循環]≪奈良交通:[2]市内循環外回り≫
・バス乗り場:「JR奈良駅(東口)」(1番のりば)・「近鉄奈良駅(5番出口)」(1番のりば:セブンレブン前)
・3停留所目(「県庁前」の次の停留所) 所要時間約8分 
・「県庁前」停留所で下車してすぐ目の前

施設の満足度

4.5

利用した際の同行者:
家族旅行
アクセス:
4.0
近鉄線奈良駅の2番出口から徒歩5分350mと近いところにあります。
人混みの少なさ:
3.0
東金堂と五重塔を保存・改修しているせいか人ごみはありませんでした。ゆっくり観光できました。ただし、国宝館は混んでいました。
見ごたえ:
5.0
国宝や重要文化財だらけで、歴史好きな人にはたまらないでしょう。好きでなくても十分に楽しむことができます。

クチコミ投稿日:2023/12/04

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