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春日大社

寺・神社・教会

春日大社 施設情報・クチコミに戻る

世界遺産寺院の二件目は朱色の眩いばかりの春日大社で廻廊を一周する特別参拝しました。

  • 4.5
  • 旅行時期:2023/11(約2年前)
Lily-junjunさん

by Lily-junjunさん(男性)

奈良市 クチコミ:14件

「東大寺」の参拝を終え、次の目的地は「春日大社」です。「東大寺」からは、「奈良国立博物館」の先にあるT字路の信号のところに向かうと、そのすぐ先に「春日大社参道」の石碑が建っています。斜めに参道が続いていますので、あとは道なりに進めば「春日大社」に到着します。
「春日大社」は、全国に約3000社あるという「春日神社」の総本社で、その歴史を紐解いてみると、奈良時代から始まり、神護景雲2年(768年)に、茨城県鹿島より「武甕槌命」を神山である「御蓋山山頂浮雲峰」に迎えました。そして、現在の地に社殿が造営され、現在のような規模が整ったのは平安時代前期のことです。それ以来、皇族や貴族、有名武将などから庶民にいたるまで幅広く信仰され続けています。境内は古代から神域とされていた御蓋山一帯に広がり、原始林に守られるかのように朱塗りのあでやかな社殿が立ち、境内には「春日大社国宝殿」があり、その数なんと国宝が352点、重要文化財が971点を含む約3000点を収蔵し、公開しています。また、付近には万葉集に登場する草花約300種が植えられている「春日大社神苑萬葉植物園」といった見どころや、レストラン、カフェ、ショップもあり、さまざまな楽しみ方ができます。そして、古来より「砂ずりの藤」として名前が知られている藤の名所としても有名です。私の個人的な見解ですが、「一之鳥居(重要文化財)」から「春日灯籠」が並ぶ参道を歩くと、奈良公園では一番多く鹿が見ることができるポイントだと思います。そのかわいらしさに魅了されカメラのシャッターを思わず押してしまいます。「春日大社」の創建時に、御祭神として迎えた「武甕槌命」は常陸から白鹿に乗ってやって来られたという伝承から、奈良では鹿は神のお使いとして昔から大切にされ、人の暮らしのすぐそばで共存してきました。背後の「春日山」には「春日山原始林」が神秘的な景観と雰囲気を醸し出しています。「春日大社」を囲うように密生している林として、昔の姿を今に伝えています。「春日山原始林」は、国の特別天然記念物に指定され、平成10年(1998年)12月に「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録されました。
それでは、「春日大社」を参拝いたいと思います。参拝には、「御本殿」からは少し遠いですが無料で「幣殿・舞殿」を参拝することができる「一般的な参拝」と釣燈籠が並ぶ回廊を通り、「御蓋山浮雲峰遙拝所」や「中門」前まで進み参拝できる「特別参拝」があります。せっかく「春日大社」に来たので、その真髄を知るにはやはり「一般的な参拝」だけでなく「特別参拝」をお薦めします。これから「特別参拝」として話を進めていきます。まず、「春日大社」の「南門」を入るとすぐ目の前にある建物が「特別参拝受付」で初穂料として一人500円を納めて案内看板に沿って進みます。

《「特別参拝」のお薦め順路》
① 「特別参拝受付」の後ろに並んでいる4つの社(井栗神社、穴栗神社、辛榊神社、青榊神社)⇒
② 「林檎の庭」⇒③ 「手力雄・飛来天神社」末社参拝所⇒④ 「桂昌院」奉納の燈籠⇒⑤ 「東回廊」⇒
⑥ 「御蓋山浮雲峰遥拝所」⇒⑦ 「中門・御廊」⇒⑧ 「御本殿」⇒⑨ 「岩本神社」⇒⑩ 「大杉・柏槙」
⇒⑪ 「内侍殿」⇒⑫ 「捻廊」⇒⑬ 「風宮神社」⇒⑭ 「七種寄木」⇒⑮ 「後殿」⇒⑯ 「椿本神社」⇒
⑰ 「藤浪之屋」⇒⑱ 「多賀神社」⇒⑲ 「宝庫」⇒⑳ 「内侍門」⇒㉑ 「御手洗川」⇒㉒ 「清浄門」⇒
㉓ 「直会殿」⇒㉔ 「幣殿・舞殿」

最初のポイントは、「特別参拝受付」の後ろに並んでいる4つの社です。近い順から「井栗神社」、「穴栗神社」、「辛榊神社」、「青榊神社」が鎮座しています。「井栗神社」の御祭神は「高御産霊」で安産の神様です。「穴栗神社」の御祭神は「穴次」で幸運を導いてくださる神様です。「辛榊神社」の御祭神は「白和幣」で交渉をまとめてくださる神様です。「青榊神社」の御祭神は「青和幣」で争いを解決に導いてくださる神様です。
次が、「青和幣」の左手にある「林檎の庭」です。「林檎の庭」は、「春日大社」で行われる祭典の際に、神楽や舞楽などの神事芸能が奉納される庭です。名前の由来は、庭の東南隅に林檎の木が植えられているためにこのように呼ばれています。この林檎の木は、平安時代に「高倉天皇」がこの場所に林檎の木を献木されたそうです。このことは、文永10年(1273年)の「中臣祐賢記」に記録されています。
「林檎の庭」の先にある石段を上ると右手に「御本殿」近くにある「手力雄・飛来天神社」末社参拝所があるので、ここで参拝します。「手力雄神社」の御祭神は「天手力雄」で勇気と力の神様です。「飛来天神社」の御祭神は「天御中主」で空の旅の安全をお守りくださる神様です。
「手力雄・飛来天神社」末社参拝所を右方向に進むと右手に「桂昌院」奉納の燈籠があり、釣灯籠が多い「春日大社」の中で、この燈籠は、「春日大社」内に3基しかない燈籠の一つとなっています。「桂昌院」奉納の燈籠は鋳銅製で見事な彫金金物があしらわれ、徳川家の「三葉葵紋」と桂昌院の父がたの本庄家の「九つ目結紋」が施されています。「桂昌院」は、江戸幕府3代将軍・徳川家光の側室で江戸幕府5代将軍「徳川綱吉」の生母です。「桂昌院」寺社の復興に尽力されており、東京都文京区にある「護国寺」も天和元年2月(1681年)に、「桂昌院」の発願により創建しました。
「桂昌院」奉納の燈籠の次は、奉納された釣燈籠が沢山吊るされている「東回廊」です。「東回廊」は東御廊と接する所までで約37mあり、ほぼ中央に「影向門」があります。吊るされている燈籠の間を歩くことができ、ふと自分が平安時代の貴族になったような感じがしました。
「東回廊」を回り込むようにして進むと「御蓋山浮雲峰遥拝所」があります。「春日大社」の第一殿の御祭神である鹿島の「武甕槌命」が白鹿の背にお乗りになり降臨したのが「御蓋山」頂上でその浮雲峰の「遥拝所」です。この「遥拝所」は浮雲峰から「春日大社本殿」を通り「平城京大極殿」まで続く尾根線上にあります。平城京の東端に位置する「御蓋山」より、宮廷の正殿である「大極殿」へと神様の力が伝わる大変尊い場所なのだそうです。入山は厳しく制限されており、ここから遥拝します。ちなみに、「遥拝」とは遠く離れた所から神仏などをはるかに拝むことです。私の住んでいる東京では、千代田区富士見にある「東京大神宮」がかの有名な「伊勢神宮」の遥拝所になっています。
「御蓋山浮雲峰遥拝所」から案内の矢印に沿って戻ると「中門」とその「御廊」になります。「中門」は、「御本殿」と間違いやすい建物で、「御本殿」の建物と間違えておられる参拝客が多いそうです。何故なら「中門」は、「春日大社」の画像で教科書などもそうですが、よく出てくる代表的な建物だからです。念のためですが「御本殿」は「中門」の奥にあります。「御廊」は「中門」から左右に約13mあり、あたかも鳥が翼を広げたように延びています。現在「本殿」の祭典では、神職の座る場所ですが、昔は「興福寺」の僧侶が常に御経をあげる場所であり、その他にも「東大寺」の僧侶も御経をあげていたそうです。
「御本殿」は、平城京鎮護のために、最初に鹿島(茨城県)から「武甕槌命」を「春日御蓋山頂」に迎え入れ祭られていました。時は過ぎ、それから数十年後経った神護景雲2年(768年)11月9日に藤原氏の血を引く女帝の「称徳天皇」の勅命により、左大臣「藤原永手」らが現在の場所に神殿を創建して、さらに香取(千葉県)の「経津主命」、枚岡神社(大阪府)に祀る藤原氏の遠祖「天児屋根命」と「比売神」の四柱を併祀したのがその始まりとされています。御祭神は、「浮雲峰遥拝所」に近い方から「第一殿」が「武甕槌命」、「第二殿」が「経津主命」、「第三殿」が「天児屋根命」、そして「第四殿」が「比売神」の順になっています。ちなみに、「天児屋根命」と「比売神」は夫婦で、「天押雲根命」が御子神様であり、初めて個人の願いを聞いてくださった神様だそうです。言うまでもありませんが、「御本殿」の正面からの撮影は禁止となっています。
「御本殿」の次は「中門」の階段を下ります。するとそこには、「大杉・柏槙」と「岩本神社」が並ぶようにしてあります。手前にある「大杉」は、地上1.3mの位置の幹周が7.94m、高さが23mあります。そして「大杉」は、樹齢約1000年ともいわれています。何故ならば鎌倉時代後期(1309年)の「春日権現験記」には幼木の姿で描かれているからです。「柏槙」は、別名で伊吹ともいわれ、「大杉」の根元から斜めにのびています。「柏槙」は、樹齢は約500年といわれており、樹木を大切にされる春日の神様の託宣(古社記)により、何と重要文化財の「直会殿」の屋根に穴をあけています。私も色々な寺社を訪れましたがこのような衝撃的な光景を見るのは初めてでした。「岩本神社」は、かつでは「住吉社」といわれていましたが、明治初年に、同じく「春日大社」の末社で、奈良高畑丹坂町にある「住吉社」と区別するため、「岩本社」と名称を変更しました。御祭神は、「表筒男命」、「中筒男命」、「底筒男命」の住吉三神です。海神信仰、また歌神信仰があり御神徳は受験合格、和歌の神様などです。
「岩本神社」のすぐ先には「内侍殿」があります。「内侍殿」は、春日祭の際に御神前で奉仕する内侍が控えていた建物です。当初は宮中より藤原氏の女性が斎女として遣わされ、斎女とともに内侍も儀式の奉仕をしていたそうです。最近では、「内侍殿」は20年に一度の式年造替時に、「御本殿」と「若宮」の神様を一時的に移すので、「移殿」(御仮殿)とも呼ばれているそうです。ちなみに、「式年造替」は同じ場所に社を造るので、新しい社ができるまでは別に住む所が必要になるそうです。
「内侍殿」に沿って進むと木材が歪んだ空間を醸し出している「捻廊」があります。「捻廊」は「内侍殿」から「御廊」をむすぶ渡り階段のことです。かつては「登廊」と呼ばれていていました。この建物は斜めに階段が付けられており、柱や棰、桁などのほとんど部材が捻じれをもって建てられています。江戸初期に活躍した極めて高い技術を持つ伝説の大工「左甚五郎」が、斜めに階段をつけ、柱や棰、桁などのほとんど部材が捻じれをもって建てたといわれています。
「御廊」を抜けると、神社の中に木が絡まって生い茂っている「風宮神社」が見えてきます。「風宮神社」の御祭神は「級長津彦命」、「級長津姫命」で、生命を司り、罪穢れを清めるお祓いの神様(子授け)です。「春日大社」ではお祓いは「御本殿」の真西に位置する「風の神様」の御力を頂いて吹き祓うものであると伝えられています。「風宮神社」の御垣の中にあり、絡まって生い茂っているのは、母樹の「カゴノキ」、「ヤマザクラ」、「ツバキ」、「ナンテン」、「ニワトコ」、「フジ」、「カエデ」の七種が共生する珍しいやどり木で、「七種寄木」と呼ばれています。ことから、子授けの御神徳があると言われています。古来、風神の威徳をもって種子を集められたといわれ、やどり木であることから、子授けの霊木と崇められ、紙捻に願い事を書いて結びつける信仰があります。
「風宮神社」の先を左に曲がると「後殿」が右手にあります。実は「後殿御門」は、明治維新以来長く閉ざされていましたが、「第60次式年造替」を機におよそ140年ぶりに開門されました。「御本殿」の真後ろにあるお庭や「後殿」には、災難厄除けの霊験あらたかな神々が鎮座しています。「浮雲峰遥拝所」に近い方から、「八雷神社」で御祭神は「八雷大神」で雷の力で人々に幸せをもたらす神様です。次が、「柄神社」で御祭神は、「火酢芹命」で出入りの門をお守りくださる神様です。次が「海本神社」で御祭神は、「大物主」で食の安全をお守りくださる神様です。その隣が「杉本神社」で御祭神は、「大山咋」で建物の高層階で生活する人々の安全をお守りくださる神様です。そして、最後が「佐軍神社」で御祭神は、「布津之霊大神」で悪縁を断ち平穏をお守りくださる神様が鎮座しています。
「後殿」の反対側には「椿本神社」があります。「椿本神社」の御祭神は、「角振神」です。「椿本神社」は「春日明神」の眷属の神様で、「隼の明神」ともいい、御神徳は災難をお祓い下さる神様です。「椿本神社」の名前の由来は、椿の木がこの付近にあったことから、それが社名になったとも伝えられています。また、御例祭は、毎年5月2日に行われます。
さらに奥に進むと、ミステリアスな「藤浪之屋」があります。「藤浪之屋」は江戸時代まで神職の詰所でしたが、現在では「藤波之屋」を開放し、暗い空間に多数の釣燈籠が浮かび上がっています。「藤浪之屋」では、「春日万燈籠」の神事を幽玄の美を体験することができます。「藤浪之屋」は鏡が張り巡らされていてさらに神秘的な空間となっています。ただし、明るい場所から暗い場所に入るので、目が慣れるまでは足元に気をつけて鑑賞をされてください。ちなみに、「春日大社」には燈籠がたくさんあることで有名です。平安時代から現在までに奉納された燈籠がおよそ三千基あります。そして、「春日大社」では、2月の節分、8月14日・15日の年3回、すべての燈籠に浄火をともす「春日万燈籠」が行われます。さぞかし荘厳な世界に豹変することでしょうね。
「藤波之屋」の正面斜め左手に「多賀神社」があります。「多賀神社」の御祭神は、「伊弉諾命」で生命を司る延命長寿の霊験高い神様です。「俊乗房重源」が、その昔大仏殿を再建するときに寿命を頂いたというお話があります。御神徳は延命長寿の神様で仕事の完遂をお導きになる神様です。その御神徳を求めて延命長寿の「幡」の奉納が絶えないそうです。また、御例祭は、毎年4月22日に行われます。
「多賀神社」の前付近に校倉造の「宝庫」があります。「宝庫」は、厚板で組み上げられた朱塗の校倉造の建物です。古くは春日の神々の大切な御神宝の数々を納めていました。そして、国宝の「大鎧」等は、実は近代までこの宝庫の中で保管されていました。現在は3月の「春日祭」の時に、「本殿」をお飾りする「御神宝」である鏡、太刀、鉾、弓矢などが納められ、3月の「春日祭」の時以外は閉ざされています。
「宝庫」の先は「西回廊」になっていて「内侍門」があります。「内侍門」は「西回廊」にある三つの門の中で北側にある門です。「貞観儀式」によると斎女や内侍等女性が参入すべき「鳥居」の後継が「内侍門」と考えられているそうです。
そして、「西回廊」に沿って「御手洗川」があります。「御手洗川」は、春日奥山を水源地とした「水谷川」を分水してできたものです。古くは御供用の水として汲み上げられ、また参拝の際の手水としても利用されていたそうです。「春日祭」では、勅使の「手水の儀」が「慶賀門」を入ったこの流れのそばで行われます。
次は、「西回廊」の3つある門の真ん中に位置している「清浄門」です。「清浄門」は、現在は神職の通用門ですが、かつては「僧正門」と呼ばれ、「興福寺」の僧侶が参入していた門だったそうです。
先ほど見た重要文化財の屋根を貫いている「柏槙」がある「直会殿」です。「直会殿」は、東を正面とする南北8間、東西4間の広大な建物で、「素木造」です。東の2間が母屋となり、「春日祭」には、勅使・弁以下の直会の儀式が殿上で行なわれます。平安期以降、ここで法華八講が盛大に行なわれたので、「八講屋」の別名もあります。斜めにのびた「柏槙」(別名「伊吹」)を「直会殿」の屋根に穴をあけて生かしています。樹木を大切にする春日の神様の託宣(古社記)により、重要文化財の「直会殿」の屋根に穴をあけています。
最後が、「南門」をくぐると正面にある「幣殿・舞殿」です。この建物は、東側2間を「幣殿」といい、「幣殿」は天皇陛下のお供え物である御幣物を一旦納める建物で、天井板は格天井で、「舞殿」と区別されています。西側3間を「舞殿」といい、「舞殿」は、宮中伝来の御神楽を行うための建物で、雨天時に神楽や舞楽を奉納する場所になります。ここが出口になり、「特別参拝」は終わりになります。なお、一般的な参拝は、「御本殿」からは少し遠いですが無料で「幣殿・舞殿」から参拝することができます。

01_【「春日大社」の一口メモ】
⑴ 所在地…〒630-8212 奈良県奈良市春日野町160 電話:0742-22-7788
⑵ 拝観時間
① 本社参拝…開門時間 06:30~17:30(11月~2月07:00~17:00)
② 国宝殿…10:00~17:00(入館は16:30まで)
③ 萬葉植物園…09:00~16:30(12月~2月09:00~16:00)
⑶ 休日…①国宝殿 年3回の展示替の時(各2~3日間) ②萬葉植物園 1・2・12月の月曜日
⑷ 拝観料
① 本社参拝…回廊内特別参拝のみ有料(500円)
② 国宝殿…大人…500円、大学生・高校生…300円、中学生・小学生…200円

02_【「春日大社」へのアクセス】
JR大和路線・近鉄奈良線「奈良駅」から
① 奈良交通バス(春日大社本殿行) 約11~15分 「春日大社本殿」下車すぐ
② 奈良交通バス(市内循環外回り)約9~13分 「春日大社表参道」下車 、徒歩約10分
③ 近鉄奈良駅からぐるっとバス大宮通りルート「春日大社本殿」下車すぐ ぐるっとバス(運賃100円)

03_【「春日大社」の見どころ】
⑴ 「本社(大宮)回廊内」(重要文化財)
「本社(大宮)回廊内」は、重要文化財に指定されています。「回廊」とは、「本殿」やその他主要な建造物の四方を巡る建物です。「南回廊」は「南門」を中心に東西に21mずつ広がり、両端は北折れして東西の回廊につながります。「東回廊」は約37mでほぼ中央に「影向門」があり東御廊と接する所で終ります。「西回廊」は約57mで南から「慶賀門」、「清浄門」、「内侍門」があります。「北回廊」は27mあり、「西回廊」とのみ接していて「御本殿」の後ろに廻り込む前で終ります。東西の御廊の長さが違うのはこのような構造になっているからです。
⑵ 「御本殿」
「御本殿」は、平城京鎮護のために、最初に鹿島(茨城県)から「武甕槌命」を「春日御蓋山頂」に迎え入れ祭られていました。時は過ぎ、それから数十年後経った神護景雲2年(768年)11月9日に藤原氏の血を引く女帝の「称徳天皇」の勅命により、左大臣「藤原永手」らが現在の場所に神殿を創建して、さらに香取(千葉県)の「経津主命」、枚岡神社(大阪府)に祀る藤原氏の遠祖「天児屋根命」と「比売神」の四柱を併祀したのがその始まりとされています。御祭神は、「浮雲峰遥拝所」に近い方から「第一殿」が「武甕槌命」、「第二殿」が「経津主命」、「第三殿」が「天児屋根命」、そして「第四殿」が「比売神」の順になっています。ちなみに、「天児屋根命」と「比売神」は夫婦で、「天押雲根命」が御子神様であり、初めて個人の願いを聞いてくださった神様だそうです。言うまでもありませんが、「御本殿」の正面からの撮影は禁止となっています。
《御祭神》
① 第一殿…武甕槌命 ② 第二殿…経津主命 ③ 第三殿…天児屋根命 ④ 第四殿…比売神
《創立》:神護景雲2年(768年)11月9日
鎌倉初期に書かれた現存最古の由緒記「古社記」には、四所神殿の創建を奈良時代、「称徳天皇」の神護景雲2年(768年)11月9日とされています
⑶ 「中門・御廊」
「中門」とその「御廊」になります。「中門」は、「御本殿」と間違いやすい建物で、「御本殿」の建物と間違えておられる参拝客が多いそうです。何故なら「中門」は、「春日大社」の画像で教科書などもそうですた、よく出てくる代表的な建物だからです。念のためですが「御本殿」は「中門」の奥にあります。「御廊」は「中門」から左右に約13mあり、あたかも鳥が翼を広げたように延びています。現在「本殿」の祭典では、神職の座る場所ですが、昔は「興福寺」の僧侶が常に御経をあげる場所であり、その他にも「東大寺」の僧侶も御経をあげていたそうです。
⑷ 「内侍殿(移殿)」
「内侍殿」は、春日祭の際に御神前で奉仕する内侍が控えていた建物です。当初は宮中より藤原氏の女性が斎女として遣わされ、斎女とともに内侍も儀式の奉仕をしていたそうです。最近では、「内侍殿」は20年に一度の式年造替時に、「御本殿」と「若宮」の神様を一時的に移すので、「移殿」(御仮殿)とも呼ばれているそうです。ちなみに、「式年造替」は同じ場所に社を造るので、新しい社ができるまでは別に住む所が必要になるそうです。
⑸ 「直会殿」
「直会殿」は、東を正面とする南北8間、東西4間の広大な建物で、「素木造」です。東の2間が母屋となり、「春日祭」には、勅使・弁以下の直会の儀式が殿上で行なわれます。平安期以降、ここで法華八講が盛大に行なわれたので、「八講屋」の別名もあります。斜めにのびた「柏槙」(別名「伊吹」)を「直会殿」の屋根に穴をあけて生かしています。樹木を大切にする春日の神様の託宣(古社記)により、重要文化財の「直会殿」の屋根に穴をあけています。。
⑹ 「幣殿・舞殿」
「南門」をくぐると正面にある「幣殿・舞殿」です。この建物は、東側2間を「幣殿」といい、「幣殿」は天皇陛下のお供え物である御幣物を一旦納める建物で、天井板は格天井で、「舞殿」と区別されています。西側3間を「舞殿」といい、「舞殿」は、宮中伝来の御神楽を行うための建物で、雨天時に神楽や舞楽を奉納する場所になります。ここが出口になり、「特別参拝」は終わりになります。なお、一般的な参拝は、「御本殿」からは少し遠いですが無料で「幣殿・舞殿」から参拝することができます。
⑺ 「御手洗川」(みたらしがわ)
「西回廊」に沿って「御手洗川」があります。「御手洗川」は、春日奥山を水源地とした「水谷川」を分水してできたものです。古くは御供用の水として汲み上げられ、また参拝の際の手水としても利用されていたそうです。「春日祭」では、勅使の「手水の儀」が「慶賀門」を入ったこの流れのそばで行われます。
⑻ 「宝庫」
「宝庫」は、厚板で組み上げられた朱塗の校倉造の建物です。古くは春日の神々の大切な御神宝の数々を納めていました。そして、国宝の「大鎧」等は、実は近代までこの宝庫の中で保管されていました。現在は3月の「春日祭」の時に、「本殿」をお飾りする「御神宝」である鏡、太刀、鉾、弓矢などが納められ、3月の「春日祭」の時以外は閉ざされています。
⑼ 「捻廊」
「捻廊」は「内侍殿」から「御廊」をむすぶ渡り階段のことです。かつては「登廊」と呼ばれていていました。この建物は斜めに階段が付けられており、柱や棰、桁などのほとんど部材が捻じれをもって建てられています。江戸初期に活躍した極めて高い技術を持つ伝説の大工「左甚五郎」が、斜めに階段をつけ、柱や棰、桁などのほとんど部材が捻じれをもって建てたといわれています。
⑽ 「特別参拝受付」の後ろに並んでいる4つの社
① 井栗神社…御祭神:高御産霊、安産の神様
② 穴栗神社…御祭神:穴次、幸運を導いてくださる神様
③ 辛榊神社…御祭神:白和幣、交渉をまとめてくださる神様
④ 青榊神社…御祭神:青和幣、争いを解決に導いてくださる神様
⑾ 「藤浪之屋」
「藤浪之屋」は江戸時代まで神職の詰所でしたが、現在では「藤波之屋」を開放し、暗い空間に多数の釣燈籠が浮かび上がっています。「藤浪之屋」では、「春日万燈籠」の神事を幽玄の美を体験することができます。「藤浪之屋」は鏡が張り巡らされていてさらに神秘的な空間となっています。ただし、明るい場所から暗い場所に入るので、目が慣れるまでは足元に気をつけて鑑賞をされてください。ちなみに、「春日大社」には燈籠がたくさんあることで有名です。平安時代から現在までに奉納された燈籠がおよそ三千基あります。そして、「春日大社」では、2月の節分、8月14日・15日の年3回、すべての燈籠に浄火をともす「春日万燈籠」が行われます。
⑿ 「林檎の庭」
「林檎の庭」は、「春日大社」で行われる祭典の際に、神楽や舞楽などの神事芸能が奉納される庭です。名前の由来は、庭の東南隅に林檎の木が植えられているためにこのように呼ばれています。この林檎の木は、平安時代に「高倉天皇」がこの場所に林檎の木を献木されたそうです。このことは、文永10年(1273年)の「中臣祐賢記」に記録されています。
⒀ 「西回廊・東回廊・南回廊」
「南回廊」では、御札・御守り含め多くの授与品はここでいただけます。また「春日大社」御朱印もこちらで受付しています。
⒁ 南門
「南門」は春日大社の「南回廊」にあり、表参道を歩いて回廊内に入る時に潜る門で、高さは12mあり「春日大社」最大の「楼門」です。平安時代中期頃藤原氏の長者や摂関による春日詣がはじまり、その際の参向門とされました。廻廊が作られた頃には現在のような2階建ての立派な「楼門」となり、春日大社の正門としての性格を持つようになりました。ちなみに、「楼門」とは社寺建築に用いられる楼形式の門のことで、二重門ともいいます。二階建てで、下層は屋根なし、上層は切妻造りの屋根をかけ、二階の縁には高欄が取り付けてあります。
⒂ 「慶賀門」
「慶賀門」は「西回廊」にある三つの門の中で南側にある門です。「神山御蓋山」を正面に望む門で、古来正式な「参入門」とされていました。宮中よりお出でになる藤原氏の大臣や上卿はこの門を潜り参入していました。現在の「春日祭」では勅使が藤原氏であればこの門より入ってお祭りを奉仕します。「西回廊」の他の二つの門と異なり天井板は格天井で特別仕様なところからも「春日大社」と藤原氏との深い所縁を感じることができます。
⒃ 「清浄門」
「清浄門」は「西回廊」の中央に位置し、現在は神職の通用門ですが、かつては「僧正門」(そうじょうもん)と呼ばれ、「興福寺」の僧侶が参入していた門です。
⒄ 「内侍門」
「内侍門」は「西回廊」にある三つの門の中で北側にある門です。「貞観儀式」によると斎女や内侍等女性が参入すべき「鳥居」の後継が「内侍門」と考えられているそうです。
⒅ 「多賀神社」
① 御祭神…伊弉諾命
② 御例祭…4月22日
③ 御由来・御神徳
「多賀神社」は、廻廊内の北西隅に位置しています。「多賀神社」は、生命を司る延命長寿の霊験高い神様です。「俊乗房重源」が、その昔大仏殿を再建するときに寿命を頂いたというお話があります。その御神徳を求めて延命長寿の「幡」の奉納が絶えません。
⒆ 「椿本神社」
① 御祭神…角振神(つのふりのかみ)
② 御例祭…5月2日
③ 御由来・御神徳
「本殿」の北西に位置するこちらの御社は春日明神の眷属の神様で、「隼の明神」ともいい災難をお祓い下さる神様です。椿の木がこの付近にあったことから、こちらの神社の名前の由来になったと伝えられています。
⒇ 「岩本神社」
① 御祭神…表筒男命、中筒男命、底筒男命の住吉三神
② 御例祭…12月16日
③ 御由来・御神徳
「岩本神社」は、かつでは「住吉社」といわれていましたが、明治初年に、同じく「春日大社」の末社で、奈良高畑丹坂町にある「住吉社」と区別するため、「岩本社」と名称を変更しました。御祭神は、「表筒男命」、「中筒男命」、「底筒男命」の住吉三神です。海神信仰、また歌神信仰があり御神徳は受験合格、和歌の神様などです。
㉑ 「砂ずりの藤」
「慶賀門」を入った所の棚造りの藤で、5月初旬頃に花房が1m以上にも延び、砂にすれるということからこの呼名が付けられました。「ノダフジ」の変種といわれています。摂関「近衛家」からの献木と伝えられ、「春日権現験記」にも書かれている古い藤であり、樹齢700年以上といわれます。また、境内の萬葉植物園には、「藤の園」があり、20品種、約200本の藤が植栽されています。
㉒ 「七種寄木」
廻廊内北西隅宝庫の東側「風宮神社」の垣の中にあり、イスノキ、ヤマザクラ、ツバキ、ナンテン、ニワトコ、フジ、カエデの七種が共生する珍しい木です。古来、風神の威徳をもって種子を集められたといわれ、やどり木であることから、子授けの霊木と崇められ、紙捻(こより)に願い事を書いて結びつける信仰があります。
㉓ 「御蓋山浮雲峰遥拝所」
「春日大社」の第一殿の御祭神である鹿島の「武甕槌命」が白鹿の背にお乗りになり降臨したのが「御蓋山」頂上でその浮雲峰の「遥拝所」です。この「遥拝所」は浮雲峰から「春日大社本殿」を通り「平城京大極殿」まで続く尾根線上にあります。平城京の東端に位置する「御蓋山」より、宮廷の正殿である「大極殿」へと神様の力が伝わる大変尊い場所なのだそうです。入山は厳しく制限されており、ここから遥拝します。ちなみに、「遥拝」とは遠く離れた所から神仏などをはるかに拝むことです。私の住んでいる東京では、千代田区富士見にある「東京大神宮」がかの有名な「伊勢神宮」の遥拝所になっています。
㉔ 「末社参拝所」
「御本殿」近くにある「手力雄・飛来天神社」末社参拝所があるので、ここで参拝します。「手力雄神社」の御祭神は「天手力雄」で勇気と力の神様です。「飛来天神社」の御祭神は「天御中主」で空の旅の安全をお守りくださる神様です。
㉕ 後殿
「後殿御門」は、明治維新以来長く閉ざされていましたが、「第60次式年造替」を機におよそ140年ぶりに開門されました。「御本殿」の真後ろにあるお庭や「後殿」には、災難厄除けの霊験あらたかな神々が鎮座しています。「浮雲峰遥拝所」に近い方から、「八雷神社」で御祭神は「八雷大神」で雷の力で人々に幸せをもたらす神様です。次が、「柄神社」で御祭神は、「火酢芹命」で出入りの門をお守りくださる神様です。次が「海本神社」で御祭神は、「大物主」で食の安全をお守りくださる神様です。その隣が「杉本神社」で御祭神は、「大山咋」で建物の高層階で生活する人々の安全をお守りくださる神様です。そして、最後が「佐軍神社」で御祭神は、「布津之霊大神」で悪縁を断ち平穏をお守りくださる神様が鎮座しています。ちなみに、「後殿」とは、天皇が儀式や謁見を行う場所が「大極殿」で、その控えの場が「後殿」です。
㉖ 春日山原始林
「春日山原始林」は、奈良県奈良市の市街の東方に位置する原始林で約250haの広さがあります。「春日大社」の神域として古より狩猟や伐採が禁止され、積極的な保護により原始性を保全してきました。奈良の景観保全上においても重要な役割を果たしており、ユネスコの世界文化遺産「古都奈良の文化財」の一要素となっています。「春日山」は「春日大社」の山として神聖視され、樹木伐採が承和8年(841年)から禁じられてきたため、森林が極相に達した原生林が広がっています。ちなみに、「極相」とは、遷移が進んだ結果, それ以上大きな変化が見られない状態を極相といいます。要は、群落全体で植物の種類や構造が安定し、大きく変化しなくなった森林のことです。

施設の満足度

4.5

利用した際の同行者:
家族旅行
アクセス:
3.0
JR大和路線・近鉄奈良線「奈良駅」から奈良交通バス(春日大社本殿行)で 約11~15分そして「春日大社本殿」下車すぐのところにあります。
人混みの少なさ:
2.0
春日大社自体は狭いので、参拝客で溢れかえっていました。参道もかなり混雑していました。
見ごたえ:
4.5
全国に約3000社あるという「春日神社」の総本社だけあり、見るべきものは沢山あります。ただし、コンパクトなので見やすいかもしれません。

クチコミ投稿日:2023/11/30

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