3度焼失して、そのたびに立て直した故に高まった井波彫刻の技術が集約された寺院:井波別院瑞泉寺
- 4.0
- 旅行時期:2022/09(約3年前)
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by RiEさん(女性)
小矢部・福光・城端 クチコミ:2件
越中の一向一揆の中心的寺院だった瑞泉寺は1581年に佐々成政によって焼き討ちにあい、その後2度の大火災が起きて伽藍が焼失しています。
2度目の火災後にタイミング悪く京都の本願寺の火災による再建工事が始まったため、多くの職人が京都に戻ってしまったので井波大工がその後を引き継ぎ、井波の建築・彫刻・塗師の技術が高められていったそうでその結果、瑞泉寺では井波に残された素晴らしい技術の数々を見学することができました。
本堂内や太子堂内は撮影禁止ですが回廊沿いの木彫はOKで、随所に散りばめられた躍動感ある木彫を鑑賞できます。
宝物館は回廊沿いに歩いて行くことも可能ですが一部屋根のない屋外を歩くため、靴を履いて外から見に行くのがおすすめです。
- 施設の満足度
-
4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 1.0
- 見ごたえ:
- 4.5
クチコミ投稿日:2023/04/25
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