勤王の志を抱くようになり平野国臣、長州の高杉晋作らと交流のあった野村望東尼が暮らした住居です。
- 3.5
- 旅行時期:2023/04(約3年前)
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by きみちゃんです。さん(女性)
博多 クチコミ:61件
幕末の女流歌人で、明治維新の先駆者として知られる野村望東尼の住居だったところです。黒田藩士の娘として生まれ、23歳の時に黒田藩士と結婚します。その後、和歌を学び現在の残る平尾井山荘を「音もなき寛の水のしたたりもたりあまりたる谷の一つ家」と詠います。 54歳で夫が死去したために剃髪し、向陵院招月望東禅尼となりました。そして勤王の志を抱くようになり、平野国臣、長州の高杉晋作等を庇護します。しかし黒田藩の佐幕派が藩内の勤王派を処刑したときに望東尼も捕えられ糸島半島沖の姫島に流されることになります。約1年後に高杉晋作に救出されて現在の下関に移り住み、高杉の死後は現在の防府市で暮らし62歳で没しました。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 西鉄大牟田線平尾駅から徒歩15分ほどです。
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 週末に訪問しましたが、他に一組の訪問者がいただけです。
- バリアフリー:
- 3.5
- 山荘が建つ付近はほぼ平坦ですが、敷地内には小高い丘もあります。
- 見ごたえ:
- 3.5
- 野村望東尼の胸像、茅葺の山荘と資料を展示する建物があります。
クチコミ投稿日:2023/04/23
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