天守は昭和50年(1975年)に天保13年模写の三層天守絵図などを元に建築されたものです。
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- 旅行時期:2023/04(約3年前)
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by nichiさん(男性)
いすみ・大多喜 クチコミ:7件
標高73mの小高い山の上に本丸。
一段低いところにある山麓には二の丸、その外側に三の丸がありました。
三の丸のあったところに今は県立の大多喜高校があります。
初めは小田喜城(おだきじょう)と言う名のお城だったようです。
真里谷信と言う豪族が1521年に築城したお城でした。
しかし南総を治めていた里見氏の武将正木時茂によって真里谷氏は城を奪われてしまいました。
以後、3代に渡って正木氏がこのお城を拠点にして上総国を治めていました。
1590年、里見氏から徳川家康の領地となり、この城には家康の四天王の一人である本田忠勝が入城しました。
江戸時代には大多喜藩10万石が誕生しました。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 家族旅行
クチコミ投稿日:2023/04/15
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