海運橋の親柱が、兜町にあります。関東大震災で、従来の石橋が崩壊し、親柱だけ残されています。
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- 旅行時期:2023/01(約1年前)
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by さいたまさん(男性)
日本橋 クチコミ:109件
海運橋の親柱が、兜町にあります。関東大震災で、従来の石橋が崩壊し、親柱だけ残されています。
開運橋の親柱の傍に、教育委員会の解説板があります。
解説板によると、開運橋は、江戸時代、海賊橋と呼ばれていました。江戸切絵図にも海賊橋と記載されています。江戸幕府の海軍は、海賊衆と呼ばれ、海賊衆の支配頭であった酒井将監の屋敷があったため、海賊橋と称されていたとのことです。
明治時代になると、海運橋と改称され、石橋となりました。
その後、関東大震災により、石橋が崩壊し、鉄橋になりましたが、従来の石橋の親柱のみが残され、現在の親柱の形態になっています。(鉄橋は、川の埋め立てにより撤去されています。)
平仮名文字の親柱の傍に、解説板が置かれていて、漢字文字の親柱は、植え込みの灌木の中に、置かれています。歴史を感じさせる橋の変遷です。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2023/01/30
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