「太平記」に記された「福山合戦」の地
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- 旅行時期:2022/01(約4年前)
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by nanochip21さん(男性)
総社・吉備路 クチコミ:92件
「太平記」に記された「福山合戦」の地として有名です。室町幕府が開かれる少し前、京都の戦いで敗れた足利尊氏は九州に逃れ、勢力を盛り返しながら再び都を目指し、瀬戸内海と山陽道にわかれて攻めのぼりました。この時、後醍醐天皇方の新田義貞軍の武将・大井田氏経は福山を占拠し、その東上を阻むためにこの城へ立てこもりました。足利直義(尊氏の弟)率いる30万の軍と、福山を守る1500の軍との間に激しい攻防が行われました。標高302mの福山は、古代より山岳仏教の寺院・福山寺があり、山頂部には平坦化された寺域と礎石がみられます。福山城はこの寺を改変して砦にしたため、にわかづくりの門の跡・土塁・井戸跡のほか、寺院の古瓦片や窯跡が残されています。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2022/01/05
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