義に熱い平塚為広を思う碑
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- 旅行時期:2021/11(約4年前)
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by カブト虫さん(男性)
関ヶ原・垂井 クチコミ:36件
平塚為広は秀吉に仕え秀吉死後、秀頼から垂井城主を任される。関ケ原では盟友大谷吉継と共に三成に進言し、家康との戦を止めさせようとしたができなかった。その流れで関ケ原では西軍に属する。合戦では少数部隊ながら大谷隊の前に陣取り、病身の吉継に代わり両隊を指揮した。合戦終盤、裏切った小早川隊の攻撃に見事な応戦をするもその後の相次ぐ裏切りで最後は討ち死にした。討ち死にする前の吉継との歌のやり取りも涙を誘う。
そんな義に熱い平塚為広の碑は、為広が討ち死にしたとされる、国道21号から少し入った広域農道脇にひっそりと建っています。そこはまさに盟友大谷吉継墓所がある藤川台の麓でした。私は宇喜多陣跡からダム横の道を通ってここに行きたかったのですが、ダム横の道がスズメバチの巣が近くで見つかったため通行禁止。仕方なく国道まで出て遠回りしていきました。
なお、この碑は為広の子孫・平塚定二郎氏が昭和15年に建てたものです。平塚定二郎氏は女性解放運動家として有名な平塚らいてうの父ですよ。以外とビッグなスポットです。
- 施設の満足度
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4.0
クチコミ投稿日:2021/12/01
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