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楫取素彦旧宅地

名所・史跡

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住まいの岡はかとり山と呼ばれた?

  • 3.0
  • 旅行時期:2021/05(約5年前)
旅好者さん

by 旅好者さん(男性)

萩 クチコミ:322件

楫取素彦旧宅地は、顕義園(山田顕義誕生地)の裏手方向でした。地元では、顕義園の裏山は「かとり山」と呼ばれていたそうですが、この「かとり」は楫取素彦の住まいから付けられたものだと思います。とはいっても、楫取のどの時期に住んでいたかははっきりしていないそうですね。藩命により楫取素彦と改名したのは1867年(慶応3年)のことです。そして、1871年(明治4年)の13代藩主の毛利敬親の死去により、隠居して長門・三隅の桜楓山荘に移っています。しかし、程なく政府に呼び出されて地方行政に携わり、1876年(明治9年)には初代の群馬県令となっています。こうして見ると、改名の前後あたりに住んでいたのでしょうか?

施設の満足度

3.0

利用した際の同行者:
友人
アクセス:
3.0
人混みの少なさ:
5.0
見ごたえ:
3.0

クチコミ投稿日:2021/08/02

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