彦根にある護国神社。
- 5.0
- 旅行時期:2021/07(約3年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
彦根 クチコミ:8件
幕末の大老井伊直弼は安政の大獄で反対論者の粛清を行い、その反動で起こった桜田門外の変によって命を落とした。譜代大名でありながら微妙な立ち位置になった彦根藩主井伊氏の16代藩主直憲は、幕府の処分緩和に奔走するが、その甲斐なく減封処分となる。譜代大名の筆頭格であった井伊氏に対する処遇は到底受け入れられるものではなかったらしく、幕府との関係は悪化して行った。
幕命に従い尊王攘夷派の鎮圧に貢献したこともあったが、その後長州との戦いで敗れたことをきっかけに新政府軍に加わることとなり、戊辰戦争を戦うこととなる。
徳川慶喜の大政奉還によって明治を迎え、初代彦根藩知事となった井伊直憲は、戊辰戦争の彦根藩士の戦死者を祀るため〝招魂社〟造営に着手する。明治9年に前期工事が竣工、官祭彦根招魂社として7月に戊辰の役東征従軍戦死者青木貞兵衛頼実之命始め26柱の神霊を招魂鎮座することを以て創始とした。その後昭和14(1939)年に現社名である滋賀県護国神社となり、戊辰戦争以降の県内出身の戦没者の御霊を祀るものとなるも、敗戦により進駐軍の駐留により社号を〝沙々那美(さざなみ)神社〟と変更している。サンフランシスコ講和条約によって日本が主権を回復した後は、再び滋賀県護国神社となり現在に至っている。
井伊氏所縁の建造物等も以前には置かれていたようだが、現在は保全を優先し能舞台は彦根城博物館に移設するなどされている。
滋賀県護国神社という名称がなぜ彦根にあり県庁所在地の大津にないのかということは普通に思うのであるが、どうやら明治維新の〝招魂社〟造営に着手できる者が大藩の藩主のレベルであったことから納得する。また第二次世界大戦の戦没者慰霊碑等も多く建立されており、県内戦没者追悼の中核となっていることがわかるものとなっている。
個々の慰霊碑には県内で編成された部隊の他、シベリア抑留による犠牲者慰霊にまで及んでいる。彦根城を楽しむ散歩も良いが、今の時代を楽しんで生きられることは多くの犠牲を払っての結果だということを考える場所ではないだろうか。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 彦根駅から徒歩5分程。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 訪れた際は誰もいなかった。
- バリアフリー:
- 5.0
- 足元は砂利敷きと石畳である。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 戦没者を祀っているだけに厳か感が違う。
クチコミ投稿日:2021/07/28
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