高槻藩主・永井氏の功績は一文字三星 ~ 高槻市立しろあと歴史館
- 3.5
- 旅行時期:2021/07(約4年前)
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by 機乗の空論さん(男性)
高槻・島本 クチコミ:36件
阪急高槻市駅・南口から城北通りを真直ぐ進み、国道171号線を越して更に進めば案内看板が出ているので左へ向かえば直ぐで、普通に歩いても10分ぐらいでしょうか?。
車の方は国道171号線・高槻北大手交差点を南へ入れば案内看板が観えて来ます~、無料駐車場が在るのでまず問題ないと思います。
入館するには入館表を記入して受付へ出すだけ、入館料も市民だけでなく無料なので検温・手の消毒はお忘れなく。
1階は天井まで吹き抜けに成った空間があり、右側に大きな城の石垣が目に付きます~、これが高槻城三の丸跡の城垣で、ガラス張りの下まで発掘された時の様子が伺えます。さて、大いなる期待を持ってここから常設展示室へと入って行きます。
館内は矢印の順に進んで見学出来るように成っています~、館内の展示物は一般的な資料と文化財の展示が主でとりわけ目立つものや目新しいものはありませんが、キリシタン大名として名を馳せた高山右近との関わり、高槻城の城郭絵や復元模型に3Dで再現された城内や街並みのDVDは判り易くて好いですね!。
改めて高槻が戦国時代から芥川城を含む城下町として基礎が出来、徳川の世に成ってからは譜代大名・内藤~永井家となり、幕末13代まで続く安定した藩主・藩政と西国街道沿いという地の利もあり大いに発展していったことが判りました。
高槻城はキリシタン大名・高山右近ばかりと思ってましたが、222年間も摂津国・藩主として藩政をに成って来た永井家3万6000石の貢献は大きかったようです。
周辺では摂津国・尼崎藩主松平家4万6000石、播磨国・明石藩主小笠原家10万石、山城国・淀藩主稲葉家10万石、和泉国・岸和田藩主岡部家6万石、そして天領地である大坂城と成ってました。
市内で暮らし駅前や商店街ばかり歩いていては郊外の街でしたイメージがない高槻ですが、改めて歴史館に来ると古の時代に城下町で在ったことがよく解りました。
濠も石垣も櫓に天守閣も残ってはいませんが摂津国・高槻藩、高槻城は実在した城下町でした
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 阪急高槻市駅から徒歩で10分弱と判り易い!
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 市民でなくても入館が無料です!
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- コロナ禍でも週末は少ないくゆっくり見学出来ます!
- 展示内容:
- 3.0
- 一般的な展示物ばかりで特徴が欲しい?…
- バリアフリー:
- 3.0
- 2階へはエレベーターが有るので問題なし~
クチコミ投稿日:2021/07/26
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