数奇な運命を辿った、谷中のシンボルだった旧東京市の関東一の高さの五重塔
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- 旅行時期:2021/05(約5年前)
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by ワンダラーさん(男性)
谷根千 クチコミ:23件
普通の五重塔は、建立された寺院でその一生を全うする。
落雷などで喪失されなければ、千年でも建ち続ける。
しかし、ここ谷中の五重塔は、数奇な運命を辿り、166年で一生を終えている。
1644年(寛永21年)天王寺の前身の感應寺が五重塔を建立する。
1698年(元禄11年)幕命により感應寺が天台宗に改宗する。
1772年(明和9年)目黒から出火した明和の大火により、五重塔を焼失する。
1791年(寛政3年)感應寺が参道(現在のさくら通り)脇に五重塔を再建する。
1833年(天保4年)感應寺が護国山天王寺と改称する。
1868年(慶応4年)上野の山での彰義隊の戦いによって天王寺は庫裏と五重塔以外焼失。
1874年(明治7年)天王寺は寺域の一部を当時の東京府に上地され、谷中霊園(甲区)になる。
1892年(明治25)年 幸田露伴が小説『 五重塔』の舞台とした。(のちの心中放火に?)
1908年(明治41年)天王寺は、五重塔を当時の東京市に寄贈する。
1957年(昭和32年)谷中霊園内の五重塔が、心中による放火で、心柱を除き焼失した。
焼けたときは既に天王寺所有ではなかったのだから「天王寺五重塔跡」と呼ぶよりも、
「谷中霊園五重塔跡」とか「谷中五重塔跡」と呼ぶべきではなかろうかと感じる。
谷中のシンボルだった五重塔は、高台の墓地の中で、高さ34.12mという威容を誇っていたのであろうと、礎石をながめて感慨に浸る。合掌。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2021/05/21
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