「小松宮」とは余り聞かない宮家で、不勉強な者にはミステリアスに感じる彰仁親王
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- 旅行時期:2021/05(約5年前)
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by ワンダラーさん(男性)
上野・御徒町 クチコミ:17件
「小松宮」とは余り聞かない宮家、この銅像の彰仁親王が初代で名乗り、死後は子のいなかった小松宮家は断絶してしまったらしい。
宮家の源流とされる「伏見宮家」の伏見宮邦家親王の第八王子に生まれ、仁和寺第三十世の門跡に就任したが幕末に還俗を命ぜられ、最初は「仁和寺宮嘉彰親王」と名乗り、明治維新で奥羽征討総督などを務め活躍したとされる。
明治3年(1870年)に「東伏見宮」に改め、佐賀の乱の征討総督やの西南戦争の旅団長として出征し乱の鎮定にあたったとされる。
明治14年(1881年)に維新以来の大功労から、世襲宮家から世襲親王家に昇格され翌年に「小松宮(仁和寺に所縁がある小松郷に因む)」に改称を認められたという。
軍事面で優秀であったようで、明治天皇に信頼されたお身内の軍人の第一人者として、上野(恩賜皇宮地)の一等地にこのような立派な騎乗姿の銅像が建立されたのであろう。
太平洋戦争での金属回収では畏れ多く、戦後もGHQに軍国主義者として潰されずに遺ったのは、数奇な運命の銅像に感じる。
近代史は不勉強な小生には、ミステリアスに感じる彰仁親王の銅像。
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- 利用した際の同行者:
- 一人旅
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- 人混みの少なさ:
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クチコミ投稿日:2021/05/20
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