多賀城跡にある多賀城碑、奥の細道で芭蕉達はこれを「壺の碑」と勘違い
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- 旅行時期:2021/04(約5年前)
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by ハンクさん(男性)
多賀城・塩釜・利府 クチコミ:3件
奥の細道を辿る旅を続けている。1689年旧暦5月の初旬、芭蕉と曾良は仙台に入り、多賀城跡にある壺の碑を訪れている。最寄り駅はJR東北本線(JR仙石東北ライン)の国府多賀城駅で、多賀城跡敷地南端にある多賀城碑(壷碑)までは10分ほど。
壺の碑とは8世紀に作られた記念碑であるが、芭蕉たちはこれを陸奥の奥にあるという歌枕「壺の碑」と勘違い?誤伝?したものらしい。現在は小さな建物の中に納められ、文字を読むことができる。
多賀城は724年に創建され、陸奥国府や鎮守府が置かれた場所で、平城宮跡、太宰府跡とともに日本三大史跡と呼ぶ人もいる。江戸時代初め、多賀城碑の発見により遣跡が多賀城跡であることが判明して以来、多くの学者によって研究され、その重要性が知られてきた。現在は国の史跡に指定された。広大な敷地の中に建屋の基礎が点在し、満開の桜がひときわ見事だった。
- 施設の満足度
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4.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2021/04/06
いいね!:2票
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