雪舟が暮らした当時の面影はどのくらい残っているのでしょうか?
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- 旅行時期:2020/12(約5年前)
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by 旅好者さん(男性)
山口市 クチコミ:82件
雲谷庵跡は、一の川が流れる谷戸の東端(香山公園は西端です)にありました。七尾山の麓となります。ここが雪舟のアトリエ「天開図画楼(てんかいとがろう)」があったところです。雪舟は大内氏の招きで山口にやって来ました。時期ははっきりしていませんが、1464年(寛正5年)45歳の頃にはここに住んでいたことは確かな様です。1467年(応仁元年)48歳の時に遣明船で中国に渡ります。(大内氏としては中国の実情を絵に描かせたかった様です)3年間滞在しますが、この間に後年の水墨画に開花します。戻った後もここに住み、1506年(永正3年)87歳で没しています。後年、毛利氏は雪舟を絵画の祖とする雲谷宗家にこの土地を与え、庵を維持管理する様に命じます。雲谷庵の名はここからです。維新の混乱期に雲谷宗家はなくなり、庵も失われてしまいます。1884年(明治17年)に、それを惜しんだ地元有志の人たちがお寺の廃材などを利用して再建したそうです。雪舟が暮らした当時の面影はどのくらい残っているのでしょうか?
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2021/03/15
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